アブラクサス:『叫べ!生きる、黒い肌で』

 2019.5.9㈭ PM14:00 サンモールスタジオ

 花曇りの風の強い昼下がり、小西優司さんが出演されているアブラクサス『叫べ!生きる、黒い肌で』を観に新宿御苑駅からサンモールスタジオへと向かった。

 劇場に入り、前から二列目の席に着き、目を前に向けると、舞台奥2段上がったところにピアノ、その上に金のフリンジで作ったようなシャンデリア、舞台右手前には木製の丸いテーブルと三脚の椅子がある。

 この舞台は、1960年代アメリカで、公民権運動に参加し、肌の色によって差別されていた人々の自由を求めたアーティストニーナ・シモンをモデルとし、彼女が親友の事を思いながら作曲した『若き、才気ある、黒い肌で』という歌からインスピレーションを得て生まれたアブラクサスのオリジナルストーリー。

 1960年代のアメリカ、400年に渡る人種差別への抗議運動が盛んな時代、アフリカ系アメリカ人のシバーナは、幼い頃からアフリカ系アメリカ人初めてのクラッシックピアニストになる為、教育を受けて育ち、音楽大学に受験するが大学に入れずピアニストを諦め、生活の為に酒場でピアノを弾くようになり、そこで、アフリカ系アメリカ人の自由と人間としての尊厳を求める公民権運動に身を捧げるビリーと出会い、親友になり、自らも運動に参加しのめり込んでゆく。

 アフリカ系アメリカ人が、電車や交響施設、レストラン等で、人種差別により、白色人種と分けられ、選挙権すらなかったのは、そう遠い過去ではない。そんな公民権運動激しい時代、行き過ぎるまで、その運動に身を投じ、歌い続けたシバーナの人生を回想シーンを中心に紡いで行く舞台。

 今日が千穐楽であり、テーマになっている内容が内容なだけに、私自身まだこれからも考え続けなければいけない問題でもある為、詳しく感想を書く事は難しい。なので、今は、観終わって感じた事をそのまま書く事で留めたいと思う。

 人種差別とその差別により奪われ、虐げられて来たアフリカ系アメリカ人の自由と人間としての尊厳を求める公民権運動という、内容に一言では言えない、様々な問題やテーマが織り込まれているが、ニーナ・シモンがモデルのシバーナの、音楽にかけた思いと情熱、歌に込めた祈りと闘いに、胸が軋み、圧倒的な熱と命を感じた。

 時に暴走するまで、公民権運動に傾倒して行くシバーナの葛藤と痛みと想いは、Setsukoさんだからこそなし得たシバーナだと思う。ニーナ・シモンがモデルのシバーナの全身から噴き出すような思いと叫びのような歌は、Setsukoさんだからこそ、表現し歌えたと思う素晴らしさだった。

 小西優司さんのリチャード・フォレストは、最初の目的はどうあれ、敢えて自分を悪者にし、自分の命をかけてビリーとビリーのお腹に宿った命を護ったその思いが、切なくも深く胸に沁みた。

 遅々として変わらない事に苛立ち、暴走して行くシバーナや仲間たちの中にあって、非暴力による公民権運動を成すことで変えようという強い信念を貫く羽杏さんのビリーの真摯で凛とした姿に、心動かされた。

 シバーナの人気と名声、シバーナの歌声が生み出す金と名誉を護る事に汲々としているように見えた石田太一さんの夫アンディの一連の発言や行動は、シバーナとシバーナのお腹に宿った命を護ろうとして、宿った命を守り切れなかった彼のせめて、シバーナだけでも護りたいという愛ではなかったか。

 明るくなく、重いテーマの話である。けれど、目を背けてはいけない問題でもあり、この頃より大きく改善されたとは言え、今でもまだ根強く残る人種差別。

 マイケル・ジャクソンですら、黒い肌を持つという事で、差別に苦しみ葛藤したという。それ程に根深い問題である。

 いつの時代であろうと、国や人種、肌の色で差別や排除されることなく、国、環境、人種や肌の色に関係なく、自分自身に誇りを持ちたいという思いが、膚に胸にキリキリと刻みつけられるように伝わって来る舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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