演劇集団アクト青山:『岸田國士傑作短編選 『恋愛恐怖病』』

 2019.3.22㈮ PM16:00 千歳烏山 アクト青山アトリエ
 上衣が要らないほどの温かで、快晴の昼下がり、千歳烏山にある演劇集団アクト青山のアトリエへと、『岸田國士傑作短編選 『恋愛恐怖病』』を観に向かった。

 アトリエにはいり、窓を背にした正面の真ん中の席に座ると、目の前に斜めに置かれた木のベンチが一脚と私の目の先斜め前に脱ぎ捨てられた白いサンダルが1足ある。

 ある夏の日の夕暮れ時、とある避暑地の海辺の公園でで繰り広げられる、互いに憎からず思っていながら、友人からその先へ進みたいと思っている女と好意を持っていながら、恋愛へと進む事に臆している『カルテU』では男の、『カルテD』で女のもどかしい恋の話。

 今回この1つの話を『カルテU』と『カルテD』の2本立てで上演された。

 『カルテU』は、つい先日までは何でもないただの友達だったの男女2人の間に、互いに好意が芽生え、恋に発展させたい女(葵 ミサさん)とその好意が「恋」の芽だと気づきたくない、何でもない友達のままでいたいと逃げたい男(伊藤 潤さん)、灯台の明かりを「さよなら」の合図と決めていた女が最後に賭けに出る行動を起こすが、のらりくらりと屁理屈をこねて躱していた男が何でもない友達のままでいたいと思っていることを知り、打ちのめされて去って行った翌日、同じ場所で以前から女に好意を寄せていたもう1人の女(永野 仁海さん)が、彼女は私の所にいると言う。それぞれが抱えるもどかしい想いと結末を描いた話。

 『カルテD』は、話は同じだが、『カルテU』で男女2人の友人が女2人に変り、『カルテU』で葵 ミサさんの演じた女を中西 彩乃さん、逃げる女を『カルテU』で、以前から女に好意を持っていた女を演じた永野 仁海さん、『カルテU』で、逃げる男を演じた伊藤 潤さんが、以前から女に好意を寄せていた男を演じた。

 同じ話を役者さんと演出を微妙に変えての2本立ての上演。休憩入れて1時間40分だったが、濃縮されていてゆったりと時間が流れて行ったようなあっという間だったような不思議な感覚になった舞台。

 どちらも演出は中西彩乃さんなのが、役者さんが違うからだけではなく、一人の人が演出しながら、全く違う2つの舞台を観ているような、それでいてきっちりと岸田國士の世界と色彩が描かれていた。

 女だから解る女の心情や姿が解る場面にしみじみしたり、笑ったり。『カルテU』では男、『カルテD』では女の煮えきらなさ、恋愛という濃厚で密接した人間関係に恐れを抱き、濃い人間関係に踏み込む事を躊躇い、逃げようとする臆病さに苛立つと共に、傷つきたくないという今の草食系男子と相通ずる男のよく言えば繊細、悪く言えば脆弱さが解らなくもない。

 恋愛をした事がない、または、暫く恋愛から遠ざかっていると、いざ、恋が目の前に差し出された時、戸惑いと不安と恐さを感じることがあるのも事実だからだ。

 特に好きで、そうだと思った場面は、中西彩乃さんの演じる女の泣きながらも大きなおにぎりを頬張る所。おむすびを頬張りながら泣くあの場面は女の本質を捉えているなと思う。

 失恋して悲しくても、死にたくなる程辛い事があっても、お腹は空くし、それが極限まで来ると泣きながらも無意識の内に本能で、何となくご飯を食べるというのが女の一面にはあり、それも、おむすびと言うのがまた、ぴったり。

 密かに思う男との縁が結べなかった女が食べるおむすびは、縁を結びたかった女の寂しさのようで、笑いながら胸に沁みた。男と話しながら、食べかけのおむすびを包み直し、結び直す仕草が切なかった。彩乃さんの演出と演じる女、原作の正統派の葵ミサさんの女、どちらも切なくて好きだ。

 それぞれの心情も我が身に置き換えるとああ、解るなと思う、きっと誰もが一度は感じた事がある、もどかしくて、切なくて、面白い舞台だった。

文:麻美 雪
 

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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