演劇集団アクト青山:テアスタ(春)『岸田國士傑作短編選 『驟雨』』

 2019.3.20㈬ PM16:00 千歳烏山 アクト青山アトリエ

 春うららと言うよりも、5月の暑さを思わせる快晴の昼下がり、アクト青山アトリエに演劇集団アクト青山テアスタ(春)『『岸田國士傑作選短編選 『驟雨』』を観る為に、急いだ。

 アトリエに入り、右手窓側の真ん中の席に着く。

 目の前には、小さい丸いコーヒーテーブルと二脚の猫足の椅子とその斜め前に、橙色の座布団と鉛筆立てと本が数冊立てられ、雑誌が無造作に置かれた文机が乗った、一段高くなった小さな舞台。

 此処で織り成されるのは、結婚後数年経った朋子、譲夫婦の元に、新婚旅行中であるはずの妹・恒子が一人で訪ねて来て、突然の訪問に戸惑う姉・朋子に、「わたし、うちへ帰るわ!」と言い放つ所から始まる、夫婦とは何かを問う物語。

 幸せいっぱいのはずの新婚旅行先から、突如一人で戻って来た恒子に一体何が起こったのか、「驟雨」がもたらす結果とは何なのか。
 
 驟雨とは、急にどっと降り出し、暫くすると止んでしまう雨、にわか雨とも言われる雨の事である。

 この意味を知ってこの舞台を最後まで観ると、ああ、そういう事かと納得する。
 姉朋子(竹田 真季さん)に促されるまま、結婚し、新婚旅行に行くまでは好きだと思っていた夫の新婚旅行中の行動、恒子(安斎 真琴さん)に対する態度に接するうち、気にならなかった事、気づかなかった事が気になり始め、夫の一挙手一投足、話す言葉や内容、その全てが気に入らなくなり、耐えられないので別れたいと言う。

 恒子の話を聞き、離婚を思い止まるように夫婦で諫めているうちに、次第に自分の夫譲(菊地 正仁さん)とも、軽い言い合いになりつつも、最後には、何処か達観したように柔らかく宥める朋子は、きっと、これからも互いに言葉や気持ちが行き違いそうになってもお互いに程よい落とし所で折り合いをつけ、なんだかんだ言いつつ、夫と別れることなく、添い遂げるような気がした。

 それは、姉夫婦には、折り合える落とし所を見つけられるだけの夫婦としての時間が経過しており、そこに来るまでは恒子が訴えるような思いになった事もあっただろうが、恒子のように別れるに至らなかったのは、やはり、夫婦として重ねて来た時間があったからかも知れない。

 この部隊が全ての夫婦の真実ではないが、夫と妻、男と女、新婚と時を重ねて来た夫婦であるかで、夫婦の在り方、考え方は違えど、岸田國士がこの戯曲を書いた時代も今も、男と女、夫婦の間に横たわる問題は変わらないなと思う。

  姉夫婦の表情や細かい所作の其処此処に、じわじわとした可笑しみを感じ、新婚旅行先での夫の行動の悉くに不安を転じた嫌悪感を持ちひとり、姉夫婦の家に来て愚痴る妹の心情は共感する部分もあり、姉夫婦の諭す言い分も、悪意はないがデリカシーのない夫の言い分はこうであろうと言うのも解る。

 それぞれの言い分も思考も解る。その上で、何処と無く擦れ違う、夫婦の思惑や感情。それを互いにやりくりして何だかんだと言いながら、夫婦としての折り合いをつけ、落とし所を見つけて添い遂げる夫婦と、我慢ならないまま別れる夫婦もある。

 添い遂げた夫婦には、家族という名の情があり、それが絆になるのだと思うし、家族としての愛情がその根底にはきっとあるのだろうと感じた。

 自分とは相反する性格や思考、言動をする夫に、嫌悪感を持ってしまい、どうしても受け入れ難く許せないと言う恒子は驟雨の真っ只中におり、どっと降り出した夫への不満という雨は別れると言う決断でしか止ませる事が出来ない恒子。

 それに対して、様々な思いの驟雨を長い夫婦生活と時間の中で、やり過ごす術を知り身につけて雨を止ませ、夫婦として時を重ね続ける朋子。

 二組の対照的でありながら、どこの夫婦でも、きっと一度はこんな思いが過ぎったり、感じたりするだろうと思う、夫婦とは何かという問を描いた1時間とは思えない濃縮された舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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