芸術集団れんこんきすたvol.31:『雲隠れシンフォニエッタ』

 2019.3.9㈯ AM11:00 中野 テアトルBONBON

 麗らかに晴れた朝、中野にあるテアトルBONBONへと芸術集団れんこんきすた vol.31『雲隠れシンフォニエッタ』を観る為、足を運んだ。

 昨年12月に、すぐ隣にある劇場で、芸術集団れんこんきすた vol.30『Gloria』を観たのも11時の回、そして、今回恋組で朝顔の姫宮を演じた美少女さんと朧月夜を演じた早川佳祐さんが出演されていたのも記憶に新しい。

 今回のこの『雲隠れシンフォニエッタ』は、頭中将の山中茂樹さんと黒崎翔晴さん以外全て女性が演じる藤組、桐組と光源氏の中川朝子さん以外、姫君たちを全て男性が演じる恋組の3組が、この1つの物語を紡いで行く。どの組にも知っている方々が出演されるのと、それぞれの組の違う『雲隠れシンフォニエッタ』を観たくて、この日、一日で全組を観られる貴重な日だったので、都合7時間、ほぼ一日を費やして全組観た。

 感想を書く前に、源氏物語の『雲隠』についての説明を要約して記しておく。

 『雲隠』は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつであり、幻と匂宮の間にあるとされておて、巻名だけが伝えられ、本文は伝存しないという幻の帖であり、『源氏物語』の補作である雲隠六帖の第一帖の巻の名前で、雲隠六帖の中の「雲隠」を上記の「雲隠」と明確に区別するときには「六帖系雲隠」と呼ばれることがあるというが、この『雲隠』は、古来より巻名のみで本文のない「雲隠(くもがくれ)」の巻が「幻」と「匂宮」の間に置かれており、五十四帖中、光源氏の物語は、光源氏52歳の大晦日の話までを語る「幻」の巻(第四十一帖)で終り、次の「匂宮」の巻は源氏が生きていれば61歳になるはずで、その間に丸8年間のブランクがあり、この期間に源氏は出家し、死去していることになる。その為、この「雲隠」の巻名は紫式部が名付けた巻名ではなく、原作にはなかったものと考えられている幻の巻である。

 その巻名だけで、本文のない『雲隠』を、奥村千里さんが、今際の際の光源氏の夢の中に、心に懸かり会いたいと望んだ姫君たち、光源氏に会いたいと望む姫君たち、双方が会いたいと願ったものだけが、現れそれぞれの想いを吐露し、光源氏の思いと想いを描いた舞台。

 劇場の前から2列目左側の(1組目の藤組)通路側の席、左側最前列真ん中(2組目の桐組)、右側最前列左手に通路の席(3組めの恋組)と各回、座る場所を変えて観た。

 紅い木の短い太鼓橋が舞台に繋がったその先、目の前に紅い鳥居と格子があり、舞台中央より前に座面が紅い布張りの椅子が一脚あり、奥には、雛壇のように段差のある舞台が左右に置かれている。

 烏帽子に胸を寛げた、ホスト風のスーツを着た、頭中将(私が観た日は藤組、桐組は、山中茂樹さん、恋組は黒崎翔晴さん)と光源氏(中川朝子さん)が太鼓橋を渡り舞台へと歩む。

 太鼓橋は、平安と平成を、亡くなり現在に降り立った光源氏と平安『源氏物語』の光源氏の今際の際の夢の中を結ぶものであり、過去と現在を隔てる結界でもあったろうか。
 そして、二人が舞台から去り、福山雅治雅治の『化身』に乗せて、8人の姫君たちのダンスが始まり、このダンスが終わり、平安の今際の際の光源氏の夢の中の世界の扉が開かれ、光源氏と源氏にゆかりの姫君たちの遣る瀬無く、切なく、胸が軋むような愛の痛みと源氏への想いと、姫君たちへの光源氏の些か身勝手ではあるが源氏は源氏なりの姫君たちへの想いと思いが吐露され、解き明かされてゆく。

 このオープニングダンスに、姫君たちの性格がよく現れていて、この後吐露される姫君たちと源氏の想いと愛の痛みを予感させる。
 全組観てもどの組も全て好きで、どの組の姫君たちも、谷崎、与謝野晶子、田辺聖子、瀬戸内寂聴の源氏物語を読んで、頭の中にあったイメージそのままの姫君達であった。

 各組それぞれの色彩があり、どれもが好ましく好きで、各組の所作や、アドリブ、ヘアメイク、髪飾り着物、立つ位置等が、微妙に違っていて、それがそれぞれの組の源氏の君の夢の世界を表していた。

 それぞれの印象を述べれば、藤組は、可憐でしとやか。桐組は凛としたロック。恋組は、しとやかとロックが混じり合い、神秘的な気品だろうか。

 藤組の藤田祥子さんの花散里は春の陽だまりのような、やさしい慈雨のような包容力、桐組の葛たか喜代さんの花散里は慎ましやかで深い慈愛と究極のおもてなしの心で源氏を包む、濱野和貴さんの花散里は、そっと寄り添い見守り、源氏を温かく包む母性を感じた。それは、全て花散里という人の中にあるもので、それを、それぞれに焦点を当てた三組の花散里のいずれもが好き。

 此処から、短くではあるが、それぞれの組の感想を記す。

【藤組】

 景山伸子さんの葵の上は、不器用なだけで、本当の心の中には、光の君にぞっこん好きな乙女心を持った愛らしい本質を持った葵の上の感じが言葉や所作に垣間見えた。
 全体的に可憐でしとやか柔らかな雰囲気の藤組野中にあって、小松崎めぐみさんの朧月夜は唯一ロックな存在。自分の気持ちに正直に臆すること無く突き進み、自ら欲しいものは欲しいと手に入れようとする奔放にも見える朧月夜は、平安の世にあって、『源氏物語』の中にあってはロックな存在だと感じていたので、一番わたしのイメージに近い朧月夜だった。

 椿 紅鼓さんの六条御息所は、光源氏との恋の地獄に落ちるまでは、憧れのサロンの女王として君臨したいた知性の人が光源氏により恋の沼に嵌りながらも知性理性と自らの女の業に苦しむ六条御息所だった。

 【桐組】

 藤組が可憐でしとやか柔らかなら、桐組は、クールビューティ、大人っぽく激しくロックで、女の業の葛藤と潔い凛とした感じがした。

 小川麻里奈さんの葵の上は、歳上である事の引け目とそれ故に素直になれない葵の上のもどかしさと、気の強さと位の高い姫としての誇り高さが素直に源氏を愛し愛されたいと思うきもちの邪魔をする大人が少し勝った葵の上。

 辻真梨乃さんの紫の上は、源氏を愛しているのに、その源氏は自分を通して他の誰かを見続けている源氏に苦しみ、悲しみが、その表情、唇から零れる言葉から胸に刺さるような痛みを感じた。

【恋組】

 恋組は、光源氏の中川さん以外全て男性キャスト。可憐と艶やかカッコイイが混ざり合って、恋組だけの魅力があって好きだ。

 浜野さんの花散里は、源氏物語を読んで私がイメージしていた花散里そのままで、ひな壇から光源氏を見つめる母性溢れる表情と眼差しは、原作の花散里そのものだった。

 桐組で花散里を演じた葛たか喜代さんの六条御息所もまた、私がイメージしていた六条御息所そのもので、知性と教養を常に感じさせながらも、源氏を愛してしまったばかりに首まで泥浸かる程の恋の苦しみに堕ちながら、それでも尚、源氏を愛さずにはいらないその事を受け入れ、業火に身も心も焼かれながらも敢えて、その恋の地獄に身を投じながらもキリッと顔を上げて生きる潔さを感じた。

 尾上貴宏さんの葵の上は、少女のような恋心と位の高い姫として生い育った為捨てきることの出来ないプライドに阻まれ、素直に源氏を愛し甘える事が出来ない切なさともどかしさを抱えながら凛とした品がありつつ、素直に焼きもちをやきく事も甘える事も出来ない歯痒い痛みを感じた。

 田代哲也さんの紫の上は、可憐さとたおやかさの中に、自分の中に自分に似た源氏の忘れ得ぬ永遠の想い人の面影を探し、自分を見ているようで見ていない、その人の身代わりとして愛されている事を感じ取り、その事に絶望し諦めながらも、その事を赦せずにいる自分をも時に疎ましく思っているのではと思わせる、私のイメージに一番近い紫の上で、切なさと苦しさに震える紫の上は、抱き締めたくなるほどの愛おしさが香っていた。

 源氏物語の世界をきっちり描きながら、今も無理なく溶け込んでいて、エンターテインメントに溢れつつも、光源氏の痛みもも姫君たちの切なさも伝わって来て、最後の光源氏の吐露には、涙が溢れた舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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