2019.3.8㈮ PM19:00 渋谷 202 OZギャラリー
54回目の誕生日を迎えたこの日、今年の自分への誕生日プレゼントにと、寒さが緩み始めた3月の暮れゆく空の下、渋谷 202 OZギャラリーへと、飯田ナオリ朗読劇PLUS『風曜日シアター9【番外編】』を観るために足を運んだ。
程なく壊されるという、古いマンションのようなビルの2階の一室に上がり、受付をするとペットボトルの水とお菓子の入ったの黒いキャンパス地のトートバッグを渡され、そこに貴重品などを移し、バッグとコートを預け、3階に上がり、朗読が上演される一室へと入る。
15人程の椅子の置かれた室内は、正面に森の中の小さな教会に迷い込んだ様な美しく、秘めやかな設いが随所に施された世界が広がる。
今回で、9回目を迎える『風曜日シアター』は、普段は(7回目まで)は、癒しのホッとする物語を紡いでいると言う『風曜日シアター』だが、今回も前回に続き『風曜日シアター』の裏面、B面として少しダークな色彩を描いた裏風曜日になっており、前回朗読した『とこしなえ郵便局『テノヒラの石』』と今回初めての『モノクロームの雨の唄』を上演。
『テノヒラの石』は、前回『風曜日シアター8』のブログをお読み頂くとして、今回の『モノクロームの雨の唄』について書くと、1週間以上たった今でも、凄惨で残酷で言葉にするのは詳しいあらすじを此処に記す事が躊躇われるのだが、その凄惨で残酷なことは、戦時下追い詰められ森に逃げ込むしかなく、外に出れば命の危険に晒される、たった一人の愛する我が子の生命を守る為、身を潜めたその場所の付近の草や木の実を食べ命を繋ぐも、やがてそれさえ尽きた時、母は自らの身を生命を息子に与える事を決めるが、優しい息子に与えるそれが何であるかを見せない為に、息子の目から光を奪う。
母(飯田南織さん)によって盲目にされた息子(日比 博朋さん)は、母の命が尽き、戦争が終わり、光のない闇の中で、母と身を潜めたその場所から外に出ることなく、ひとり、大人になり、あんなにも愛していた母をいつしか自分の目から光を奪った酷い母として憎むようになっていた。
その息子の元に、とこしなえ郵便局の局長(飯田南織さん)が、亡くなった母からの物語を配達に来る。真実を知った息子は、母の命を賭した愛を知り、母への憎しみは消えるが、母の想像を絶する痛みと苦しみ、自分に与えられた命がけの無償の愛に慟哭し、絶望の果てに彼の心にも一筋の明かりが灯り、彼は外に出る。
とこしなえ郵便局の局長が配達に来る、それは、物語が届けられず、迷って天国にも地獄にも行けない魂である事を意味し、息子も既にこの世の者ではない事を示す。
外に出て、最後に彼が見た物は、悲しく切ないなくも、美しい母の愛と憎しみから解き放たれた、絶望の果てに灯った一筋の希望の美しい光だったのではないだろうか。
そのその言葉のひとつひとつが、胸に刺さって、目の裏に広がる物語の世界、子を思う壮絶なまでの母の想いが、胸に痛くて、切なくて、苦しくて、悲しいけれど、あまりに美しく、嗚咽が漏れ止めない涙が溢れて止まらなくなった。
けれど、切なくて悲しく凄惨なだけでなく、その先に見えたもの、観終わった後に胸に残った感情は、仄かなやさしい一点の希望の光と温かく崇高な美しさだった。
観ている間も、そして、観終わった後も、大切な人に今すぐ会いたい、そばに居て欲しい、そう思える人の今いることの幸せをひしひしと感じていた。
誕生日に、観られて良かったと思う。今ある幸せを心にしみじみと深く感じる事の出来た、痛くて切なくて、壮絶で悲しいけれど、美しくて、最後に温かな一粒の希望の火の灯る素晴らしい物語がだった。
文:麻美 雪
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