2019.1.17㈭ PM14:30 下北沢 「劇」小劇場
朝の冷たい空気が、陽射しに温められた麗らかな昼下がりの下北沢を「劇」小劇場に、叶江 透さん、大友 沙季さんの出演された劇団新劇団第二回公演『特攻(ぶっこみ)のマクベス』を観る為に初日初回のこの日、足を運んだ。
2階へと続く階段を上り、劇場内に足を踏み入れると、昭和の不良文字が書き殴なぐられた建物の壁が目の前に現れる舞台。
そこで繰り広げられるのは、シェイクスピアの『マクベス』を80年代を背景にしてレディース(女性だけの暴走族)同士の闘い、葛藤、裏切り、友情を描いた舞台。
シェイクスピアの『マクベス』のように展開される今回の『特攻のマクベス』は、マクベス側からの視点と悲劇の王子マルカムから見た、2つの視点で同時に進行して行く。
舞台の感想を述べる前に、基になっているシェイクスピアの『マクベス』のあらすじを紹介しておくと、マクベスは、常々、心の底では王位を望んでいたスコットランドの武将マクベスが、スコットランド王ダンカンに取って代わりスコットランドの王になり、友人の武将バンクォーは、ずっと幸運に恵まれその子孫がおうになるという奇怪な予言を荒野で出会った三人の魔女に告げられ、マグベスの妻からは意志的な教唆をされダンカンから王位を奪うという野心を実行に移していく。
マクベスは、王ダンカンを自分の城で暗殺し王位を奪ったその日から、手に入れた王位を失うことへの不安と疑心暗鬼から身内も敵も見境なくなり、次々と血に染まった手で罪を重ねて行き、マクベスを王位に就かせ、自らも権力を手に入れる為、手を血に染めたマクベス夫人もやがて罪の意識に耐えられなくなり、精神を病み自害する。
シェイクスピア四大悲劇中でも最も密度の高い凝集力を持つと言われるのがこの『マクベス』である。
その『マクベス』と同じように展開される『特攻のマクベス』は、最初は野心など微塵もなくつづみ=ダンカン(やんえみさん)を盛り立てて行こうとしていた、優しく控えめだった幕部須凶子=マクベス(河口舞華さん)が、姉不二子=マクベス夫人(西山美海さん)に唆され、権力ヲ手に入れる事で、凶暴に変貌して行き、凶子を唆した不二子は、副総長としてつづみを支えながらも、大怪我をし副総長の座を妹凶子に譲る事には依存はないものの、蓋をしていたつづみへの鬱屈が溢れ、凶子を焚きつけつづみを追い落としたのはいいものの、予想以上な凶子の暴走して行く姿に戦き、いつしか自らが追い落とした者たちの幻影に追い詰められ、マクベス夫人のように心の平和を失って行く。
河口舞華さんの凶子は、姉に唆され、権力を手にする事で凶暴に壊れて行く様が、そのままシェイクスピアの『マクベス』を思わせ、終盤に向かうにつれて、姉である不二子さえ恐れるほどの凄みへと変化して行く凶子に凄みを感じて、見事だった。
西山美海さんの不二子は、大怪我をし副総長を降りた事で、それまで持っていたつづみへの妬み、嫉みが噴き出し妹凶子を焚きつけ、つづみを総長から引きずり下ろし、2人でチームを牛耳ろうとつづみの追い落としたものの、予想以上に凶子の暴走して行く姿に恐ろしさを感じ、自らが追い詰め追い落とした者たちの幻影に悩まされ、怯え追い詰められて行く姿がマクベス夫人と重なった。
叶江 透さんのつづみのチームと友好関係にあるチームの副総長土門美智子は、不二子たちによって、つづみと友好関係にあったチームの総長志和=シワード(早野碧さん)を襲い怪我を負わせた犯人に仕立てあげられたつづみの妹まどかを信じ、匿い、共につづみたちの敵を討とうと護る姿が格好良かった。
まどかと土門と行動を共にし、四面楚歌のまどかを助ける大友 沙季さんの不和=フリーアンスもまた、人の意見に惑わされず自分の目で見て、確かめた事を信じ、共に闘う姿に意気を感じた。
最終的に、誰も死なず、襲われたつづみと志和も怪我も治り、幕部須姉妹の前に現れ、自分を襲い追い落とした2人を許し、また共にやって行こうと言うやんえみさんの総長つづみの器の大きさ、稲葉麻由子さんのつづみの妹まどか=マルカムの最初は控えめで、人を疑う事を知らず、優しすぎるが故に何処か頼りな気なまどかの終盤に向かって、次第に大人び精神的に強く大きくなって行く様子が胸にグッと迫って来た。
80年代の日本、しかもレディースの抗争という設定に置き換えながらも、シェイクスピアの『マクベス』の台詞の入れ方、使い方が実に絶妙で、違和感なく溶け込みながらもそれが、この舞台を更に深く面白くしていた。
シェイクスピアの『マクベス』とは違い、『特攻のマクベス』は、誰一人命を落とす者も奪われるものもなく、凶子も不二子も憑き物が落ちたように改心し、元の姿に戻り、つづみが自分を裏切った2人を許し、受け入れ、大団円のうちに終わる。
シェイクスピアの『マクベス』の、次々とマクベスにより命奪われ、最後には誰もいなくなるという重く救いのない話が、『特攻のマクベス』は、爽快で後味の良い舞台になっていた。
シェイクスピアの『マクベス』しか認めないという人には、賛否両論あるだろうが、私はこういう『マクベス』の解釈の仕方、描き方がおあってもいいと思うし、面白いと思い、好きだと思った舞台だった。
文:麻美 雪
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