Dangerous Box:『罪』

 2018.12.8㈯ PM14:00、12.10㈪PM18:00 浅草六区 ゆめまち劇場

 真冬の冷たい空気が、すっぽりと街を包み込む中、浅草六区ゆめまち劇場に、Dangerous Box『罪』を観る為に足を運んだ。

 Dangerous Boxの舞台を観ると、いつも目と耳が足りないと思い、1度観るともう一度みたくなるのだが、いつも仕事の都合で観られるのは1度しか観られないのがもどかしかった。

 1ヶ月間の休暇中の今回、初めて2回観ることが出来て、1度目には気づかなかった事に気づき、面白さも感じるものも深くはなったものの、2回観てもまだ、目と耳が足りなく感じ、3度4度と観たくなったほど好きなぶたいとなった。
 Dangerous Boxの舞台を観るといつも、頭と感覚と軆の中が、絶叫マシンに乗ったみたいにグルングルンとシャッフルされて、その後に創作意欲に駆られる。絶叫マシンは、苦手だが、舞台を観て頭と全身がシャッフルされる様な感覚に陥るのはある種快感でもある。

 今回も役者、ダンサー含め58人が舞台の上を、下を、駆け巡り、物語の中に息づく者たちの感情、思い、言葉が交差し交錯するが、今まで観たDangerous Boxの舞台の中では、一番分かりやすく真っ直ぐにテーマが伝わって来る。

 そのテーマは一言で表すなら“家族愛”。そのシンプルな主題が、Dangerous Boxの手にかかると壮大なエンターテイメント・ファンタジーになる。

 今回は、2度目に観た千穐楽の舞台を観た感想を、綴りたいと思う。

 劇場に入り、左手側の花道真横の席に着く。フロアの真ん中に、丸い卓袱台の置かれた離れ小島のような舞台があり、その先に少し間を空けて、短い花道が奥正面にある大きな舞台へと続き、その一番奥に階段を4段ほど上がった上に、玉座がある。

 そこで織り成されるのは、こんな物語。

 2018年の今に暮らす平凡な山田家の主、丸味は何を考えているか解らない妻、何を言っても反抗する娘、引きこもりで何もやろうとしない息子に頭を抱えていた。

 全てに平穏を求めているのに全てがうまくいかない日常を認めたくなくて、突然の大きな地震に見舞われ、何故か自分が異空間に放り出されるあの日まで、家族は仲良く平和に仕事を頑張っていると、必死に思い込むことによって、家族の問題、家族の現実から目を逸らそうとしていた丸味。

 突然現れた自分の自称不倫相手、突然現れた娘を狙う同級生、何もしなかった引きこもりの息子が突然家を飛び出そうとするのは、理由は父への反抗なのか。無数に起きた小さなあれこれが引き金となり、大量の喜劇を伴って冴えない中年サラリーマンの丸味を日常から丸味を奇跡へと誘い、父は今異世界へと旅立ち、企業戦士が伝説の戦士へと担ぎ出され、家族を守りたいのに世界を守ってくれと懇願される。

 信じられない世界は、人ごとだと思っていた異世界は、妻と娘と息子が国を分けて争い、自分だけが存在しない不思議な世界。

 現在と異世界、現実の家族と異世界の家族が交錯し、交差し、干渉し合いながら繰り広げられる圧倒的スケールの異世界ファンタジーは、剣も魔法も家族愛も全てが混在する家族の愛エを描くエンターテイメントな舞台。

 福屋しし丸さんの家族の問題から目を逸らし、自分の家庭は幸せなんだと思い込もうとしている山田丸味は、異世界に放り込まれ、自分の家族とそっくりの母子が、相争おうとしているのを止める為、目を逸らしていた家族それぞれが抱える問題に対峙し、異世界の家族を闘わせようと画策する帝国幹部を妻によく似た剣の巫女カルビナから託された『ストレス社会嫌ヤダ』と書いてある聖剣に、家族への思いを込めて目を逸らさず戦う父へと変化する丸味が、最後はとても格好良く感じた。

 大橋篤さんの磯貝保の一方的に思いを寄せる丸味の娘夢子に瓜二つのアルフェニスに言った「男はね、誰かを愛する事に、いかに愛し抜けるかに価値を見出すのだから。」の言葉に、それまで思い込みが激しい、鬱陶しい男という印象が一気に払拭され、格好良く見えた。良くも悪くも保は一途な男なのだと思った。

 REONさんの丸味の息子清麿とハルビオンは、現実と異世界で鏡合わせに交錯している。ハルビオンは、愛する者を守れなかった傷と痛み孤独を抱え、清麿は学校の中で居場所を見い出せず心を閉ざし凍らせ、他者によって理不尽に傷つけられ、家族にさえも心を閉ざし孤独を抱えるその痛みと切なさが深々と胸に沁み、更に殺陣とダンスの切れと格好良さに目を奪われた。

 叶江透さんのリスメラルダもまた、ハルビオンと同じような痛みをずっと心に抱えて生きてきたからこそ、振り向いてはくれないハルビオンに心惹かれたのではないだろうか。素直に好きな人に好きと言える自分になりたいと言って散って行ったリスメラルダは、自称丸味の愛人と宣言し、丸味の家に押しかけ、家族団欒の中に加わろうとする花子は、家族の温もりを何より欲したリスメラルダの想いが花子として転生したのかも知れないと思った。リスメラルダの潔さ良さがとても格好良くて好きだった。

 水野奈月さんの捉えどころがないようにふんわりとしているように見えて、家族の抱える問題に気づきながらそっと見守る母優子と、血の繋がらない兄ハルビオンに対する抑え難い想いの為に自分を殺そうとする娘アルフェニスと、愛する者が母が受けた神託によって亡くしたと思い母を恨む息子ハルビオンの想いを受け止めながら、2人を操る帝国幹部ファルスと剣を取って戦う、凛としたカルビナがとても美しかった。

 篠原志奈さんのファルスは、きっと、カルビナに憧れながら、カルビナにはなれない事に嫉妬と絶望を感じ、それが拗れて光ではなく闇の側に陥ってしまったのではないだろうか。ファルスは悪役でありながら、どこか毅然とした格好良さを纏っている。それ故に、憎み切ることの出来ない悲しさと潔さを感じた。

 石橋知泰さんの帝国幹部の右官の真官が笑いながらカルビナ側の者たちを斬り倒してくゆ姿に一瞬気圧され痛ましそうな、終盤の死を覚悟して突っ込んで行く前の、何かに気づいてはっとたじろいだような、軆の奥底から滲み出したような孤独と悲しみを目の表情に感じた。悪であればあるほど、役者さんに品がないとただの嫌悪感しか残らずグロテスクなだけになってしまうのだが、石橋さんの右官は、悪役なのに気品がある。だからこそ、悪役なのに思わず心惹かれてしまう。

 林 里容さんの真官は、何故あそこまで残酷な人間になったのか。どんな悲しみが、どんな絶望が真官をあそこまで非道な人間にしてしまったのか、知りたくなるほど観ていて背筋がゾクリとする恐ろしさを纏っていた。敵の手にかかるぐらいならと、自ら喉を掻き切って散ってゆく姿に圧倒的な存在感と凄みを感じて震えた。

 宮岡志衣さんは、今回演じたバッカネルで、前回の『或るアリス』の時に差し入れしたネックレスを「今回の衣装に合うと思って、御守りのようにずっと着けてます」とずっと着けて下さっていた。志衣さんのバッカネルは、帝国側につく戦の民の一員なのに、何処か可愛気ががあって、ちょっと恐くて出て来ると目が離せなかった。

 ダンサーの方で、とても目と心を惹かれるダンスをされていた方がいらしたのが、小笠原芽生さんと中野亜紀さん。このお二人のダンスは、キレがありながら指先まで神経が行き届いて美しくて好きだと思った。

 きぶさ あかねさんの振り付けとダンスは、観ていてとても格好良く、色気があっていつも観るのが楽しみにしている。

 『罪』を色で例えるなら、紅と黒と白。朝の光の白(カルビナたち)と夜の闇の黒(帝国側)、その闇に流される血の紅。その紅は、光をその身に持たぬ若しくは持ちたいと望んだのに持つ事が叶わなかった夜の闇の中にしか生きられなかった者たちが流した血と涙ではなかったか。

 朝と夜、白と黒、正義と悪、光と闇、カルビナたちと帝国側、それらは鏡合わせであり、対を成すもの。闇があるから光が際立ち、夜があるから朝が在り、人もまた闇と光を持つからこそ、深くなって行くのではないか。

 影があるからこそ、人は実体として存在し得るのであり、影もまた必要なものである。けれど、その影が闇が全てを支配してしまえば、世界も人も滅びてしまう。

 光に駆逐される闇の悲しさ、人が抱える孤独、家族でありながら、家族であるからこそ気づき辛く、気づいても目を逸らしてしまいたくなるそれぞれが抱える問題や焦燥と苛立ちから来る孤独と絶望を、それでも踏み止まって対峙し共に乗り越えてゆくのが家族というものなのかも知れないと考えた。

 兄と親戚はいるものの、既に父母を亡くし、自分の家族を持たない私は、この先自分の家族を持てるかは今はまだ解らないが、幾多の孤独と悲しみ、寂しさを乗り越えて、自分の家族こそ持たないが、今が幸せと言える今と今のわたしがいるのは、紛れもなく亡くなった父母が築き守ってくれた家族の中で育ったからである。

 亡くなった父母を思いながら見た、を歌とダンスと笑いと涙と練り込んだ、最後はじんわり心温まる家族の愛に包まれた舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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