芸術集団れんこんきすたvol.30:『Gloria』

 2018.12.9(日) AM11:00 中野 中野HOPE

  真冬の冷たい風に、首を竦める日曜日の朝、中野の駅に降り立ち芸術集団れんこんきすた第30回公演であり、公演中に主宰の中川朝子さんの40歳という節目を迎える舞台、『Gloria』を観に駆けつけた。

 『Gloria』は、「ドイツ随一の世界的スター」であり、戦前より敢然とナチスを否定し、ヒットラーの誘いさえ撥ねつけ、脚に百万ドルの保険をかけたとも「百万ドルの脚線美」「世界で最も魅力的な女性」とも謳われながら、地位も名声も投げ捨て、ただ一人、ヒットラーに否を突きつけ、ナチスに挑み戦った事を、「あれは、私の生涯で唯一つ価値のある行い」と言った女優、マレーネ・ディートリッヒの戦いを描いた舞台。

 マレーネ・ディートリッヒのこの、ナチスとヒトラーとの戦いについては、レニ・リーフェンシュタールの自伝『回想』という本にも書かれていて、中学生の頃から好きだったマレーネ・ディートリッヒが、その凛とした生き方を垣間見て、憧れの女性になった。

 レニ・リーフェンシュタールは、ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』と1934年のナチス党大会の記録映画『意志の勝利』を監督し作製した事で、ナチによる独裁を正当化し、国威を発揚させるプロパガンダ映画として機能したという理由から、戦後はナチスの協力者として長らく非難され、黙殺され続けたが、1970年代以降、アフリカのヌバ族を撮影した写真集と水中撮影写真集で、戦前の監督作品も含めて再評価の動きも強まったものの、ナチスに協力した者というイメージは最後まで払拭される事はなかった。

 27年前、日本でも一時期レニ・リーフェンシュタールに注目が集まり、渋谷BunkamuraのTザ・ミュージアムで『レニ・リーフェンシュタール展』が開催され、私も観に行き、そこで単行本で上下巻ある『回想』を買って、読みマレーネ・ディートリッヒの件の戦いの一端を知った。

 無知と盲信が危うい方向に傾いた時、思想統制や意を唱える者を異端として排除、迫害し、極端になると処刑する。ヒットラーとナチス、そういう思想を持った独裁者たちによって繰り返されて来た戦争。

 その中でも、ヒットラーの統べるナチスが行ったユダヤ人虐殺は、未だに多くの人々に傷を遺し、記憶に生々しく残り続けているが、その記憶を薄れさせてはいけないとこの舞台を観ると改めて、思いを強くする。

 濱野和貴さんの記者レオ・レーマンは、最初は、マレーネに対し他の記者が持っていたような思い込みから、批判的な思いを持ちどこかなおざりにインタビューを始めるも、マレーネと話す内にマレーネの凛とした生き方と孤独な戦いをあの戦争の最中屈すること無く成し遂げた孤高さに対して、マレーネに対する見方、思いが変化して行く様が見事だった。

 城市遼さんのコメディアントーマスの和やかさにホッと心ほぐされ、美少女さんの、恐らく誰にも心を許すこと無く粛々と任務を遂行して来たであろうアメリカOSS 将校イシェルソンの孤高な戦いを続けるマレーネの真摯な姿と矜恃に面には表さないが、意気に感じ、マレーネに対する尊敬と唯一心を許したのではなかったかと感じる佇まい、松原海児さんの連合陸軍大尉ホーウェルの誠実さ、優しさ、ナチスが自分たちを救ってくれたと信じ、祖国ドイツの為戦争に身を投じた高森勇介さんのパウルに胸が軋みんだ。

 石渡弘徳さんの連合軍兵士ジョーと、『木立によせて』のジュイシェンとが重なった。ジョーが見た戦場は、ジュイシェンが見た戦場の光景でもあったのではないだろうか。敵味方を越え助けようとしたパウルを、マレーネを守る為に心ならずも自らの手で殺めてしまった後に、絞り出すように吐露されたジョーの言葉は、ジュイシェンが戦場で感じた言葉でもあったのではと思い胸を突かれた。

 早川佳祐さんのゲッべルスは、本人そのもので、登場した途端に空気が変わり、ヒットラーもまた、ゲッべルスの理知的狂気に操られていたのではないかと感じる程のゾクッとする怖さがあった。ゲッべルスは演じるのも相当精神的に負担がかかると思う。ゲッべルスの理知的で静かな人心掌握分析能力に長けたある種の狂気とヒットラーの盲信的狂気が結びついた悲劇があの戦争。

 中川朝子さんのマレーネ・ディートリッヒは、中川さんの中にマレーネが入っていると思うほどマレーネそのままで、マレーネの真摯で凛々しい生き方に中川朝子さん自身の舞台演劇という芸術に挑み、それのみを武器として戦っている姿と重なり合い胸を打たれた。

 出演されている役者の思いと熱、演じられた人物の思いと感情が、重なり合い、交錯、交差して、その膨大な熱がうねりとなって、身を貫かれ、観ている側も胸も感情も全てが軋む。

 『Gloria』の観劇ブログを書くのは、とても勇気がいった。それは、あの空間で見たあの光景、人々の思いと痛みと葛藤、戦争の悲惨と二度と起こしてはならないと言う思いと、様々なものが胸に迫り、胸が詰まり、書きながらも胸が抉られるからである。

 けれど、今だからこそ舞台にする意味があり、今だからこそ観るべき舞台であったと思い、観られて良かったと思う、心抉られ、魂が震え、観るのは苦しく、辛くもあるが、是非再演して欲しいと熱望する舞台だった。

 文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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