時代絵巻AsH特別公演其の参:『水沫~うたかた~』

 2018.12.5㈬ PM19:00 池袋シアターグリーン BOXinBOX THEATER

 夜の藍に染められて行く池袋の街を、高山タツヤさんの出演される、時代絵巻AsH特別公演其の参『水沫~うたかた~』を観る為に足を運んだ。

 物語は、『平家物語』でお馴染みの長門国・壇ノ浦の戦いを軸に描かれる。栄枯盛衰、『奢れる平家は久しからず』と言われた平清盛のあの壇ノ浦の戦いの平家側から見た平家にとっての壇ノ浦の真実が描かれている。

 時の移ろいに追われ、栄華を誇った者たちが漂う西果ての海に、知将・平知盛の「見るべき程の事は見た」声が響き渡り、穏やかに事を観る者、悲嘆する者、諦め得ぬ者、奮迅する者、同じ平家の血を引く兄弟、一族、仕えるものの中でも、思いや考えはそれぞれ違う。

 彼らの瞳に最後に映るのは、輝くような遠い日に、兄と、弟と、そして友と呼び親しんだ懐かしい姿。

‪ 平安の終わりを彩った平家の若者たちと源義経の、淡く儚い、願いと思いの物語。
 『リチャード三世』にしてもそうだが、歴史は往々にして強者、勝者の視点によって描かれ、敗者、弱者の見た真実と異なることがある。『平家物語』もまた然りと、この舞台を観て改めて思った。

 源義経が兄頼朝に認められるキッカケになり、その名を知らしめた一ノ谷の戦いでの鵯越(ひよどりごえ)。それはまた、後に頼朝が義経の賢さ、強さ、人望の厚さなどを含め脅威を感じ、弟義経を疎み、義経を討つに至るものとなったと大河ドラマや小説を思って来た。

 それでも、ずっと、腑に落ちない事があった。大河ドラマや小説を見聴きし、歴史学者が語るのを聞いても、義経はどちらかというと戦国の世に生まれるには賢く、穏やかで、争いを自ら好まない人と感じていた。

 その義経が、鵯越で数多の人の命を奪ったという像としっくりと結びつかなかった事と、兄頼朝の為に武勲をあげた義経は、何故兄に疎まれ、兄頼朝は何故急にあそこまで義経を疎み討ったのか。

 それが、この『水沫~うたかた~』を観て腑に落ちた。此処に描かれているのも、平家側からみたひとつの見方である事は十分に踏まえた上で尚、もしかしたら、真実はこうであったかも知れないと腑に落ちた。

 義経は、無為な戦を止めようとしたのではないか。源氏の一族として生まれながら、平治の乱で謀反人となり敗死した父を持つ義経は、裏切り者の子供として不遇の時代を過ごし、後に藤原高衡の庇護を受けた。

 この舞台では、牛若丸と名乗った幼少期、平清盛の孫、教経、資盛兄弟と遊び、清盛の四男知盛とは義兄弟として信頼関係を築きもし、義経にとっては、平清盛一族と藤原高衡は、何よりもかけがえのない人々でもあった。

 そのかけがえのない人たちと源氏が戦い相見えることを避け、止める為頼朝の元に向かい、戦を止めるには鵯越をするしかないと思っての行為が、本人の思いに反して、頼朝を助け、武勲をあげる事になってしまったのではないかと思った時、黒咲翔晴さんの義経に胸が詰まって涙が零れた。

 高山タツヤさんの平家を裏切ったと言われて来た平頼盛も、清盛や兄たちとは考えかたは違うものの、平家を、清盛を守りたいという思いは同じであり、頼盛は頼盛のやり方で平家を守ろうとしただけだったのに、そこに至る行き方が兄弟と違っただけの事だったのでは無いかと思った。

 この2つの事を感じた時、先に挙げた義経に対する疑問、腑に落ちなかった事がストンと腑に落ちた。今まで、どんなドラマや小説、話を聞いても腑に落ちなかった事が、この舞台を観て、やはり、こういう事だったのではないかととても素直に思えた。

 それぞれの思が、少しずつ掛け違ってしまった故に起こった歴史の悲劇というと、あまりに月並みだが、それでも、そういう風に感じずにはいられなかった。

 戦国の歴史に詳しくなくても、苦手な人でも、人としての思いと葛藤、苦悩と煩悶、一人一人の人間が描かれているので、入り込んで観られる素晴らしい舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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