2018.11.22㈭ PM14:00 八幡山ワーサルシアター
この日、休みを取り4連休の初日、夜にひとつ観劇の予定が入っていたのだが、前から気になっていたこの舞台にメイクで関わっていた志奈さんからもお薦めされて、急遽チケットを取った『豪華版 男おいらん 朗読劇』を観る為、ぽつぽつと鈍色の空から雨粒が落ち始めた中、八幡山ワーサルシアターに私は居た。
劇場に入り、席に着くと正面には、紅い格子に蔓が絡みつき、紅い花とその紅い花に隠れるように咲く白い花、左右の紅い格子にも、蔓や枝が絡みつく。
紅い格子に咲く花は生花。舞台で生花を使うのは珍しい。
紅い格子に絡みつくのは、“情念”。
紅い花は、“男おいらん”。
白い花は、これから紅く染められるのであろう、無垢な少年だろうか。紅い花に隠れるように、埋もれるように咲くのは、そうなる運命と解っていながら、染まりたくないと思い抗う少年の心の現れだろうか。
『男おいらん』、このタイトルを聞いた時、私には思い出すひとつの舞台がある。
長い付き合いのブログ友達の役者今西哲也さんが出演された、『野郎華(おとこえし)』という、いつの時代、どこかの国、女郎の代わりに男が女に春を売る男女郎の胸抉られ、美しくも儚く、心がヒリヒリと痛む今も忘れられない舞台。
『男おいらん』は、また、内容が違い、東北の貧しい農家に生まれ、口減らしの為、浅草の呉服問屋に奉公するため江戸へと向かった柾木が連れて行かれたのは、吉原の奥に佇む裏吉原の「桜木屋」、女着物に身を包む男遊女たちが、男相手に体を売るという男遊郭に身売りされていたと知った柾木が、退廃した桜木屋に渦巻く、愛憎入り乱れる人間模様を目の当たりにし、自らもその渦に巻き込まれたその先に待っていたのは……という内容。
まず、目を奪われるのは、生花の咲く紅い格子の舞台装置と照明の美しさ。ここからするりと儚くて切なくて胸に痛くて、でも美しい『男おいらん』の世界へと誘われ、迷い込んで行く。
観始めて、やはり、白い花はこれから染められてゆく無垢な少年、柾木(桜樹舞都さん)であり、紅い花は、それぞれの事情を抱え『桜木屋』に売られ、此処で“男おいらん”として生きて行かざるを得ない故に、紅く染まった飛竜(林瑞貴さん)と千早(高橋司さん)、紅い格子に絡みつく蔓は、“情念”と“大切な人への思慕”と“悲しみ”だったと感じた。
柾木の最初の客、医師宗次郎(光富崇雄さん)は、最初は柾木が自ら心を許し、自分を想うようになるのを待つといい人のように見えて、自分の元に医者になる為に修行に来ている柾木の幼なじみと柾木を合わせて、煽るような事をしておきながら、幼なじみが医学を学び続けられるよう宗次郎に身を任せた柾木の心が、自分にない事に憤り、幼なじみを破門にし、柾木を男おいらんにし、花魁道中をする金を引き揚げ、恨みつらみを言い募る、黒い人に変わって行く、人の持つ怖さ、身勝手さは、男女の仲に於いてもよく見られる光景を映し出す。
戸惑い、“男おいらん”に嫌悪すら感じていた柾木(桜樹舞都さん)が、千早や飛竜の『春木屋』に来る迄の経緯とそれぞれが、胸に秘め、此処で生きる理由を知り、幼なじみの想いを知り、自分の中にある思いに気づいた時、此処に生きると決める心の揺れや葛藤がせつなかった。
飛竜(林瑞貴さん)と千早(高橋司さん)の、それぞれの大切な両親や家族に対する思いと共に、少年だった飛竜と千早に、愛情の欠片もなく接し、言葉を投げつけ、身売りをさせた叔父や父親へのやり場のない怒りと諦めと悲しみもまた、胸を締め付けた。
食い入るように観ていて、これが朗読劇である事を忘れていた。朗読劇だけれど、一本の濃い舞台を観たような感覚。
誰かが誰かを思うということ、それは、無償の愛だけなら美しいが、時に、人によっては愛という名のエゴを人に押し付け、受け入れられないとその人の大切なものを奪い、壊し、愛しているという相手を傷つけ、傷つけた者は傷つけている事にさえ気づかない。
生きてゆくこと、命、時間。様々な感情と思考と想いと感覚が津波のように押し寄せて、どうにも遣る瀬無く、切なく、儚く、残酷で、悲しくて、しかし、逞しく強かで美しい舞台だった。
文:麻美 雪
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