2018.11.2㈮ PM19:30 浅草ゆめまち劇場
この日、休みを取り、Dangerous Boxの『或るアリス』を観る為、ゆめまち劇場へと足を運ぶ。少し早めに出て、ゆめまち劇場の周りを見て歩き、舟和でゆっくりお茶を飲み、1時間の開場時間を30分前だと勘違いしていたことを劇場に着いて気づき、慌てて中に入るも、既に舞台全体が観やすい席は埋まり、右手の前方の席に着いた。
私の席からは、右手舞台の奥正面はほとんど見えず、右手奥正面の死角になった位置での動きや芝居は殆ど見えなかったが、右手前方と真ん中、左手の舞台は良く見え、そこから観る芝居と音と音楽と役者さん達の台詞と声で、見えない部分は想像し、いつもより以上に集中し、惹き込まれて観た。
左手の舞台には、玉座がひとつあるだけ。その少し前方の左側にはポールダンスのポール、右手には、銀色のフラフープのような大きな輪が吊り下げられ、右手奥正面には、大きなスクリーンがある舞台。
その舞台の上で繰り広げられるのは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を題材にして描かれた、『不思議の国のアリス』とは似て非なると思えば、非なるようで似てもいるDangerous Boxの『或るアリス』。
【 あらすじ】
『どこにでも「或る」話。どこまでいっても「或る」話。少女はある日旅に出された。意思に意思に関係なく。行った覚えも、来た覚えも、送り出された覚えもないが、そこは少女にとって不思議の国であったから・・・。
少女は世界を欲しても、世界は少女を欲さない。知っているのに、知らないから。憶えているのに知らないから。知ってるくせに教えてくれない。膨大なジレンマは少女をますます不思議の中に引きづり込んでいく。』という話。
引用したDangerous Boxのあらすじを見てもわかる通り、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が、そうであったように、今回の舞台は全編に言葉遊びが散りばめられている。『不思議の国のアリス』には、マザーグースの詩が多用されている。
Dangerous Boxの『或るアリス』でもナンセンスな言葉遊びや、言葉に毒を潜ませた言葉遊びが、全編に縦横無尽に飛び交っている。同じ言葉でも抑揚や漢字違いの言葉が多い日本語の特徴と利点を最大限に活かしたDangerous Boxの『或るアリス』。
“いし”という言葉一つとっても、石、医師、意思、意志、遺志、縊死…と沢山の言葉があり、文字があり、意味がある。『或るアリス』の会話、台詞は、全てにこの言葉遊びが為されている上に、言葉と動きが、高速回転で飛び交うので、一度観ただけではこの『或るアリス』という物語を理解するのは難しく、だからこそ、1度観ると二度三度と観たくなる中毒性をもつ。私も、時間があればもう一度観たかった。
なので、今回は、特に印象に残った役者さんについて、書く事で『或るアリス』がどんな舞台だったか感じて頂ければと思う。
宮岡志衣さん、『大脚色』『雪華、一片に舞う』とは違い、可愛くてかっこよくて、ちょっぴり悪魔な役で、登場すると目で追ってしまう。
きぶさあかねさんのダンスの振り付けも、Dangerous Boxの舞台を観る時の楽しみのひとつなのですが、今回も格好良い。あかねさんの振り付けるダンスが本当に素敵で好き。
林 里容さんは、毎回イメージの違う役で、
Dangerous Boxの舞台の楽しみのひとつが、林さんを観ること。林さんは今回どんな風になるんだろうということとその良い声を聞くことも楽しみのひとつ。林さんの声は、ハッと耳を引かれて惹き付けられ、スルスルとDangerous Boxの紡ぎ出す世界へ連れて行ってくれる。今回の『或るアリス』でも、『不思議の国のアリス』の兎同様、不思議な物語の中へスルスルと導いてくれた。
ポールダンサーの龍さんのチェシャ猫のポールダンスが、最初から圧巻で釘付けになって目が離せなかった。しなやかで、妖しくて、可愛くて、かっこいいチェシャ猫で、ポールから輪に移動する時、登場人物たちの合間を縫い、舞台すり抜けて行く動きも猫そのもの。
石橋知泰さんは、『大脚色』とは、全く違う印象の役で、今回は自分とは血が繋がっていないと、彩鈴(ありす)にきつく当たり、飲んだくれ、その事で妻に暴力を振るうという彩鈴の父を演じた。目で追わずには居られない素敵で、どんな役をやっても品のある役者さん。
この嫌な父を演じても嫌悪感を伴う醜悪さにならないのは、石橋さんの持つ人としての品の良さと知性があるから。どんな人物を演じても、気品を感じる役者さんは稀有だと思う。人としての品が滲み出るのは大切な事だと思う。悪い人、嫌な人を演じる時は、特にそれが無いとただ醜悪な嫌悪感しかないからだ。確かに、暴力を振るったり、言葉で傷つけるのは良くない、けれど、嘗ては愛していたであろう妻と娘が、自分の子ではないと知り、自分以外の男の子を宿し産んだ事を知った父の絶望と葛藤と苦しみも感じた。
青木素姫さんの彩鈴の悪夢と目を逸らしてしまいたくなる現実を行き来し、悪夢だと安心したら現実で、現実と思ったものが悪夢で、ループする果てのない悪夢に搦めとられ、閉じ込められ最後に、吹っ切ったようにも壊れたようにも見えた笑いが凄みがあると同時に切なかった。
『不思議の国のアリス』さながらの言葉遊びが、Dangerous Boxの手に掛かって、高速で交錯し交差し、重なるその言葉が抑揚ひとつ、言い方ひとつ、込める思いひとつで、全く違う意味になり、やがて、物語とリンクし、紅い焔の様な痛みを宿した黒曜石のような悪夢に誘う。
痛くて、きっと真実を受け入れるのが恐くて迷い込んだ、或るアリスの夢の中に、言葉の渦とダンスと闇の光に誘われ迷い込んだ1時間半。面白くて、痛くて、でも食い入る様に見ずには居られない、最高に面白い舞台だった。
文:麻美 雪
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