2018.10.27(土) PM16:30 と10.28(日)PM14:30の両日11月の後ろ姿が見えているのに、夏のように暑い夕暮れの中、新中野ワニズホールへ芸術集団れんこんきすたの『れんこんきすた芸術祭』を観に足を運んだ。
芸術集団れんこんきす初、『芸術集団れんこんきすた芸術祭~文化祭風味、感謝の香り添え~』と銘打ち、10/24~10/28の5日間、一日3500円で、居放題、見放題の芸術祭が開催された。
日替わりの合言葉を言えば、一日出入り自由。芝居以外は写真撮影歓迎、三本の芝居と5種類のショー&ライブ、読み聞かせ、12月に公演する『Gloria』の5分間の作品プレビューを、日替わりで送る文化祭みたいな芸術祭。
日によって、始まる時間も終わる時間も違う、観たい演目の日を選んで観に行く、今までにない形式の公演。最初、一番観たかった演目のある土曜日のみ観に行ったのだけれど、観終わった後、翌日もどうしても観たい演目があったのと、とても楽しかったので急遽千穐楽の日曜日も観に行った。
それ故、観た演目も多いので、いつもとは違う、カテゴリーごとの感想を一つ一ついつもより短く強く思い感じた事だけを書く形にする。
最初は、芝居編。
『Talk of Roses』2018.10.27観劇
テーブルを取り囲むように3脚の椅子がある舞台装置で繰り広げられたのは、メアリー、ジェーン、エリザベスの16世紀のイングランドを彩った薔薇たち、3人の王女を描いた会話劇。
寄り添って咲くことを許されなかった花たち、時代によって割かれた3人の王女たちの切なく苦しく愛おしい物語。
この後のトークショーで、脚本・演出の奥村さんが話された事によると、史実によればジェーンとエリザベスは、仲が悪かったとも伝えられる二人を、この芝居では敢えて、仲の良い二人として描いている。それは、仲の良かった者が割かれる方が悲しく、物語として胸により深く染み、ドラマチックでもあるから。
イングランド国教会に連なるプロテスタントに対して、過酷な迫害をした事からブラッディ・マリーと言われたメアリー一世も、この芝居では、話が進むにつれ、表情や言葉に如実に表す事はしないが、血の繋がらない二人の妹に対しての、身体の奥深くに隠し灯した愛情を強く感じる話になっていた。
エリザベスを慕い、純真無垢な姉への思慕を素直に向けて表し、己の預かり知らぬ運命に翻弄され望も望まぬもなく、事態が分からぬまま在位9日間の女王の座に着かされ、ただ一人孤独の中で過ごし、もう一人の姉メアリーの改宗すれば助けられるとの申し出にも、姉たちの事や様々な事を深く考え、斬首刑を受け入れる強さと悲しいまでの優しさと無垢で毅然とした小松崎めぐみさんのジェーンが、堪らなく愛おしくその清らかさに涙が込み上げた。
ジェーンの屈託のない純真無垢な心に、表情も感情も凍らせてしまったような、国の事だけを考え、冷酷な厳しさを持ち、妹エリザベスやジェーンにも心を閉ざし、心を許さなかったメアリーでさえ、心を解され、心を開き許して行く。それにつれて中川朝子さんのメアリーの表情に微かに笑みが上ったり、妹たちを思いやり、守ろうとする心の芽生えを感じた。
ジェーンに対してのエリザベスの柔らかい愛情と妹ジェーンを何があっても守ろうとする強さと、姉メアリーを畏れながらも、姉メアリーがあれ程にきつくいなければならない事も実は誰よりも理解していたのも木村美佐さんのエリザベスではなかったろうか。
世が世なら、時代が時代なら、この3人の薔薇たちは、寄り添って幸せに咲くことが出来たのではなかったろうか。
史実とは、違うジェーンとエリザベスの関係を軸に展開する『Talk of Roses』を観ながら、こういう真実であったなら救われるのにと思うと同時に、歴史は時の為政者、権力者に寄って事実とは違う悪者に書かれる場合も儘ある事を考えると、メアリーやジェーン、エリザベスの中に、『Talk of Roses』に書かれたような思いが無かったと言い切ることは出来ないのではないか、ほんのひと欠片でもそんな気持ちがあったのではないかと信じたくなってしまう話だった。
いつか、再演して欲しい胸に深く刻まれた舞台だった。
文:麻美 雪
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