2018.10.4(木) PM14:00 アクト青山アトリエ
前日に続いて、演劇集団アクト青山『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』Bチームを観る為に、千歳烏山にあるアクト青山のアトリエに足を運んだ。
前日のAチームとは、舞台の設いが全く異なる。それは、舞台の設いだけでなく、描き方もまた異なる事を表している。
Aチームが、清水邦夫の原作に一番近く描き出すのに対し、Bチームは、主題や内容は大きく変えていないが、描き方にBチームならではの解釈がなされていた。
Aチームは、開演前にジャズが流れ、『A列車で行こう』の音楽によって『楽屋』の幕が開いたが、Bチームは、ラヴェルの『ボレロ』のと共に『楽屋』の幕が開いた。
この日も、コの字型に作られた座席。前日と変えて、左側の最前列の真ん中の席に着いた。
舞台の真ん中に、子供用の水を張ったビニールプールがあり、その奥に、女優Cの大きな鏡の付いたドレッサー、向かって右手に衣装の掛かったハンガーラック、その隣に女優A(渋谷結香さん)と女優B(やまなか浩子さん)の小さな化粧前、その前の壁に掛けられた縁さえも無い2枚の鏡があり、2枚の鏡の間には芝居の台詞が書かれた数十枚の紙が貼られている。
Bチームの『楽屋』は、秋の色彩を感じた。何度も言うが、女優Cは、原作では40歳の設定だが、清水邦夫の原作を読んだ時も私の頭の中に浮かんだのは、女優Cは、40代~50代に差しかかる位の年齢だった。
その事から思うと、Bチームはまさに私のイメージ通りの年齢の女優Cであり、Bチームの『楽屋』は、マダムの雰囲気を纏い、和と言うより洋の『楽屋』という感じがした。
女優C(出田君江さん)の発する『蓄積』という言葉が、より鋭くも自分の身に重ねて、実感を持って胸に沁み、突き刺さる。
女優4人の舞台に対する執着、執念、芝居に魅入られ、抜けるに抜けられない迄に芝居という、女優という業を一番感じた。
女優霊たちが、Bチームの舞台の真ん中に置かれたビニールプールに入る時に必ず祈りを捧げるのは、そこが神域であり、女優霊たちの舞台であり、張られた水は聖水だからなのだろう。
だから、女優Cが女優D(額田礼子さん)の頭を殴りつけ、女優Dが出て行き一人になった楽屋で、その聖域に踏み込み水を蹴散らし荒れ狂ったあと女優AとBが恐れ戦き、慌ててホースで水(聖水)を注ぎ入れたのだろう。
その聖水を注ぎ入れる二人の姿が、じわじわと笑いを誘う。
Aチームに劣らず、Bチームも頭から爪先まで、随所にたっぷり、笑いが散りばめられていて、『かもめ』ならぬアヒルのおもちゃが宙から降り注ぎ、飛び交う。この場面で場内は笑いの渦、私も好きな場面。
笑いながら、女優Cから放たれる言葉に、ハッと胸を刺され、己の来し方行く末に思いを馳せ、観終わった後にどこかさっぱりと、これまでの自分の人生の『蓄積』に少しだけ胸を張り、その『蓄積』を糧に、これからやって来るであろう孤独にも歳を重ねて行く事に伴う残酷さに腹を括り、歳を重ねたからこそ得られるものを誇りに生きてやるという、清しい気持ちになった舞台だった。
文:麻美 雪
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