末原拓馬:『夢語』

 2018.9.24(月) PM:19:30 STAR PINE'S CAFE

 朝から良いお天気だった祝日の月曜日、折角なので、散歩がてら早めに、STAR PINE'S CAFEのある吉祥寺へと向かった。

 呑気に早めの夕食を摂り、10ヶ月ぶりの末原拓馬さんの単独公演を観る為に、この日の会場であるSTAR PINE'S CAFEへ向かおうとお店を出たら、雨。激しくなる雨の中、開場時間まで外で並び、STAR PINE'S CAFEの中に入る。

 舞台にはピアノが一台あるだけ。舞台装置は何も無い。出演者は末原拓馬さん、一人だけ。

 舞台の上に、拓馬さんが現れ、『夢』に関する短い物語をいつくもいくつも、語り、演じる。

 この日のテーマは『夢語』。拓馬さんによると、『夢語』とは、人類は、はるか昔同じひとつの言語を話して平和に暮らしていたのが、進化して行くにつれ、録なことをしない人間と言うのは必ずいるもので、そういうのが無駄に権力だの力だのを持つととんでもない事をやらかしてしまう。見かねた神様は、人間の力を削ぐ為に、いろんな言葉を話すようにして、言葉が通じないようにした。

 けれど、夢の中でだけは、はるか昔人類が話していたたった一つの言葉、共通言語で話していて、それが『夢語』なのだそう。日本語でもなく英語でもなく、『夢語』。夢の中だけで話され、理解できる言葉。だから、亡くなったりして死者が生きている人間に話しかけても、夢語ではなしかけているので、相手には通じないということらしい。

 この末原拓馬さんの『夢語』は、そんな夢語を話す事になってしまった一人の青年と、恋人だった女性の話しを軸に、一見バラバラに見える『夢』に関する物語が次々と紡がれて行くのだけれど、それが、最終的に恋人に会う朝亡くなってしまった青年と、青年が死んだのは自分のせいではないのかと自らを責める恋人、その女性に仄かな想いを寄せながらも、想いを胸に秘め、彼女を支えるもう1人の青年の長きに渡るひとつの物語となっているというもの。

 観ながら、6月に亡くなった父の事を思った。私が15歳の時に亡くなった母と一緒に、きっと天国の雲の隙間から見守ってくれていると素直に信じられた。

 時間は有限だからきっと、美しいのだなと思った。時間は有限、先日インタビューした小西優司さんの言葉を思い出した。ここでも、人生は、時間は無限ではなく有限だと感じた。

 来月上演する小西優司さんの『楽屋』といい、末原拓馬さんの『夢語』といい、時間は有限だからこそ、大切に愛おしんで、無駄にせずに生きなくてはと思う舞台に、遭遇したのにはきっと理由がある。
 
 恐らく、私に今必要なメッセージだからこそ、出会った舞台だったのだと思う。

 時間も人生も有限だと知っているし、大事に生きてきたつもりだけれど、きっと、私自身の人生の節目に来ていて、もう一度その事を考え、これからの人生をどう生きてゆくか見つめよと言うことなのだなとも感じた。

 それは、悲しくて切なくて、けれどとても美しくて温かい物語。これぞ、末原拓馬さんの真骨頂、末原拓馬の紡ぐ世界であり、物語。

 私が愛してやまない、末原拓馬さんの物語だった。最後の末原拓馬さんの単独公演『ひとりじゃできねぇもん』から10ヶ月。美しい物語が詰まった拓馬さんの頭の中にある玩具箱をひっくり返したような、物語を観る事が出来なかった。

 それが、この『夢語』で、再び観る事が出来た喜びは、何物にも変え難い。これが、観たかったのだと、やっと、拓馬さんの『物語』が観られたと心の中で叫んだ。

 久しぶりに拓馬さんの物語を観て、触れて、心が震えて温かくなった。1年に1回でも2回でもいい、また、『ひとりじゃできねぇもん』のような、今回の『夢語』のような、末原拓馬さんの物語が観たい。

 この美しくて温かくて切ない物語が観られて、幸せな一夜だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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