劇団現代古典主義:『亭主学校~ルイ14世に捧ぐ~』

 2018.9.15㈯ PM20:00 コフレリオ新宿シアター。
 数時間の間を起き、夜再び東新宿のコフレリオ新宿シアターに、足を運び劇団現代古典主義『亭主学校~ルイ14世に捧ぐ~』を観た。

 数時間の間を起き、夜再び東新宿のコフレリオ新宿シアターに、足を運び劇団現代古典主義『亭主学校~ルイ14世に捧ぐ~』を観た。

 お昼の『アントニーとシャイロック』とは違い、左右の小上がりのような舞台はなく、真ん中に一段高くなった舞台があるだけの舞台装置。それが、様々な表情を見せる。

 お昼の回で千穐楽を迎えた『アントニーとシャイロック』は、シェークスピアの『ベニスの商人』を原作として、劇団現代古典主義ならではのアレンジが施されていたが、『亭主学校~ルイ14世に捧ぐ~』は、モリエールの喜劇『亭主学校』を、劇団現代古典主義独自の同時進響劇として、再構築しての上演。
 モリエールと言えば、俳優江守徹の江守はモリエールを文字って名付けられたと聞いたのを思い出す。

 モリエールの芝居自体を観るのは、恐らくこれが初めて。フランス古典喜劇の先駆者、17世紀フランスの俳優であり、劇作家である事以外、勉強不足で知らないので、先ずは、モリエールの『亭主学校』を再構築した劇団現代古典主義の『亭主学校~ルイ14世に捧ぐ~』のあらすじから。

 嫉妬深い主人公ルイポルト伯爵(原作:スガナレル)が自身の妻にする為、 教育した娘イザベルは、間もなく執り行われるルイポルトとの結婚を望んでいない。

 イザベルは、町人貴族ヴァレールへ胸に秘めた恋を打ち明け、ヴァレールもまた、イザベルに想いを寄せていた。二人の間に強い想いと恋が芽生えていることを知らないルイポルトは、イザベルの姉レオノールの助けを借りて、イザベルとヴァレールの二人が無事に結婚出来るように練った計画のままに、我知らず自らが掘った墓穴に落ち、最後は大団円に収束する喜劇。

 悲劇のシェークスピア、喜劇のモリエールと言われた、この正反対の性質をもつ劇作家の2作品を見比べられる面白さを感じると同時に、シェークスピアとモリエールもまた、鏡合わせの存在であると思い至る。喜劇と悲劇はいつも背中合わせの表裏一体。

 悲劇の中にも喜劇が存在し、喜劇の中にも悲劇が存在する。その対比として、この2作品が今回選ばれたのだろうか。

 登場する男の人たちは全て白塗りで、頬紅は赤く、眉もしっかりと描き、ともすれば滑稽にすら見える化粧を施しているが、これは、モリエールの時代のフランスで実際にそのような化粧で、演じられていたのをそのまま再現したのだと言う。

 こちらは、肩の凝らない喜劇ながら、ちょっとした皮肉と風刺も込められているようだ。

 フランス国王ルイ14世夫妻と弟のオルレアン公フィリップ一世がこの芝居の見物に来ているという設定になっている。

 頑固でな性格で、流行や派手な事を嫌いイザベルを軟禁状態で自分の理想通りの妻になるように教育するルイポルト(大西輝卓さん)をルイ14世を皮肉っているように描かれ、モリエール劇団のパトロンオルレアン公フィリップ1世は、兄とは正反対の温厚で柔和、柔軟な考えを持ち、イザベルの姉レオノール(土肥真由美さん)を穏やかに包みレオノールの意思と気持ちを尊重する弟フィリベルト(那須康史さん)として描かれる。

 それは、レオポルトとフィリベルト、ルイ14世とフィリップ1世の対比であり、これもまた、鏡合わせの関係。

 女の側からしたら、ルイポルトのように自由を奪い、束縛拘束して、自分の理想の妻に育てようという男や夫は、どうしたって好きにはなれない。『源氏物語』の光源氏も紫の上を自分の理想の女性に育てたが、ルイポルトのような束縛も拘束もしていないし、紫の上も初手から光源氏に淡い想いを抱いてたから、ルイポルトのような憂き目には遭わずに済んだが、自分というものが芽生えた紫の上の臨終の際、源氏に会う事を拒まれ、最後は自分の望みを通したという目には遭っている。

 幼い頃母に言われた言葉がある。『小鳥はそっと掌で優しく包みなさい。強く握ったら死んでしまうから。』という言葉だが、それはまた、人を愛する事にも通じる。束縛したり拘束したり押し付けたりしたら、愛は死ぬ。愛を育てるには、そっと優しく包み込む事。

 ルイポルトのイザベルに対する愛は北風の愛。吹きつければ吹きつけるほど、頑なに閉ざされて行く。レオポルトがフィリベルトのように太陽の愛で、優しく照らし温めたなら、もしかしたら、イザベルもルイポルトを愛したかも知れない。

 それはまた、重商主義を進め、幾度も侵略戦争を起こし、財政を悪化させたルイ14世をも指して言えることではなかったか。

 モリエールの喜劇は、性格喜劇と言われ、人間の強欲、臆病、大ぼら吹きなど特定の性格から起こる事件を描いた喜劇。この『亭主学校~ルイ14世に捧ぐ~』は、まさにそれである。

 これは、17世紀フランスの事ばかりとも言えず、今でも往々にしてある事でもある。シャイロックとは180度違う、何処か人としての可愛らしさを感じる樽谷佳典さんのヴァレールが好きだった。

 最後のルイポルトの打ちひしがれた姿、そのルイポルトを見て、ルイ14世が漏らした言葉に、最後は少し、ルイポルト、ルイ14世に対して気の毒な思いと二人の孤独と寂しさ、相手を信じきれないが故に束縛拘束する事でしかイザベルに対せなかったルイポルトの不器用さに切なさを感じた。

 笑いの中にも、様々な事を考えさせられ、感じた舞台だった。

 文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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