2018.8.4(土)PM20:00、8.5(日)PM20:00千歳烏山にあるアクト青山のアトリエで、演劇集団アクト青山の夏の朗読会《参》『怪談集夜曲』を観た。
各回3演目、小泉八雲の『怪談』の朗読の6作品観た中で、特に心に残った朗読について書こうと思う。
先ずは、8/4のおこのぎ ふみこさんの『キクの呪い』。
この日は、朝からアクシデント続きの父の49日法要を済ませた足で、夏の朗読会《参》『怪談集夜曲』に向かった。
49日法要の日の夜に、小泉八雲の『怪談集』の朗読という一生の間にさえ、遭遇する事などそうない状況で聴く朗読。
アクト青山のアトリエに入ってすぐ左の壁には女面の能面、席に着くと目の前に上方落語で使われるような小机があり、机の左隅には蝋燭の立てられた小皿に、右手隅には、講談や上方落語で使われるような白扇が閉じた状態です置かれ、その畳の四隅には盛り塩のされた小皿が、演者を守る結界のようにおかれていた。
左手の畳には、空になったお銚子が転がり、怪談集が3冊無雑作に置かれ、小机の周りには、書き損じた原稿用紙が丸めて打ち捨てられ、目を上げた先の壁には白地に藍色で模様が描かれた浴衣がガウンのように壁面にかけられている。
程よく冷え、風がとまったようなアトリエの中、演劇集団アクト青山夏の朗読会《参》『怪談集夜曲』が始まった。
『キクの呪い』は、どことなく『番町皿屋敷』を彷彿とさせる。奉公する屋敷の主にあらぬ疑いをかけられ、覚えの無い罪を断罪された挙句に問答無用で手打ちにされ、働き者だったまだ少女だったキクは命果てる。
『番町皿屋敷』も、家宝の皿を割った咎で、奉公人のまだうら若いお菊が手打ちにあって命を落とす。キクとお菊。怪談話で奉公先の主人に手打ちにされたり、殺されたりするのに“キク”という名が多いのは何故だろうとふと思った。
この日、朗読が始まる前から直後暫くの間、ちょっとしたアクシデントがあった。休憩中に入って来た一人の男のお客さんが、おこのぎ ふみこさんの朗読が始まっても小銭の音をジャラジャラと大きく響かせていたり、カバンのファスナーを頻繁に開け閉めしたりと、兎に角落ち着きなくしかも朗読者であるおこのぎ ふみこさんだけでなく、聴きにいらしていたお客様荷物失礼な行為を5分以上に渡ってしていた。
私も含め、周りのお客さんも幾度となくそな方に、「静かに!」という視線を送っているのに気付かぬ素振りで、自分のカバンやお財布の整理を終えるまで煩いことこの上なかった。
他のお客さんにとっても、おこのぎさんにとっても、不快なこの状況を払拭し、『キクの呪い』の世界へと見事に引き込んだのは、おこのぎ ふみこさんの朗読だった。
出て来た時から、いつも、舞台の終演後にお話しする時に感じる、ふんわりと柔らかなおこのぎさんとは違い、『キクの呪い』の世界を既に纏ってらして、失礼なお客さんに対しても、アトリエ内と他のお客さんの雰囲気を壊すことなく、キリッと怪談の世界には誘うような凄みのある目線でピシリと制し、その人の出す弟が静まるまで身体はじっと止まっているのに、全身からこれから始まる怪談の世界がゆらゆらと立ち上っていた。
懲りずにまだ雑音を出し続けるお客さんに、他のお客さんも、集中出来ず仄かな苛立ちを滲ませていたのも束の間、おこのぎさんの朗読がアクト青山のアトリエを一気に、『キクの呪い』の世界にと染め上げ、引き込んで行く。
身に覚えのない罪を断罪され、「そんな事はしていない」と否定しても聞き入れられず、申し開きひとつさせて貰えぬまま主に手打にされた、痛ましい、屋敷の夜の庭、藍に染った夜にまだ少女を出ぬいたいけな少女キクの赤い血が飛び、屋敷の為、主の為にと陰日向なくクルクルとよく働いたキクの無念と口惜しさと絶望、悲しみ、切なさ、その全てが凝り固まって、憎しみとなり、やがて、直接には関係の無い、主の家の筋だと言うがために一族郎党根絶やしになるまで呪い、死に至らしめた『キクの呪い』の壮絶さと、その基になったキクの無念と手打にされる時の恐怖と絶望、身を粉にして一生懸命働いたのに、疑われ殺された悲しみと悲しみから来る呪いの強さに、おどろおどろしいと言うよりは、ただ、どうにもキクが可哀想で切なくてならなかった。
その『キクの呪い』の世界に、引き込み、お客さんの苛立ちも、無礼な雑音も一切払拭し、語り切ったこの日のおこのぎ ふみこさんには、凄みがあって、素晴らしかった。
それだけに思う。ああいうお客さんは、なんの為に時間とお金を使って、観に来たのだろうと。観る側にも最低限のマナーは必要だと思っている。
お金を払っているんだから、きゃくなんだから、何をしても許されるというものでは無い。上演中、私語や写真撮影は禁止(舞台やイベントによっては写真撮影OKの場合もありますが、基本は禁止が常識です。)、携帯や時計のアラームが鳴らないようにする、極力物音を立てないというのは観る側の最低限のマナーです。
それは、身を削るようにして脚本を書き、演出をし、演じる方たちへのマナーでもありますが、他のお客さんにも不快な思いをさせない最低限のマナー。それを出来ないなら、観に来るのは控えられた方がいいのではと思ってしまう。創り手、演じ手にこれほど失礼な事はないと思うから。
そんな状況の中で、きっちりと目の前に『キクの呪い』の世界を描き切ったおこのぎ ふみこさんの朗読は本当に素晴らしかった。
キクの事を思うと、切なく切なくてならなかった。小泉八雲の怪談は、ただ怖い、おどろおどろしいだけではない、悲しみや切なさを、美しい言葉で描き出す。その八雲の怪談の持つ悲しく美しい切なさを感じた朗読だった。
→②へ続く。
文:麻美 雪
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