2018.5.25㈯ 15時 千歳烏山 アクト青山
夏の香りのする陽射しを身に纏いながら、昼下がりの千歳烏山からアクト青山へと、演劇集団アクト青山のテアスタ・オーロvol.5『誤射 〜葵祭の陰で〜』を観に向かった。
明かりを抑えたアトリエの中に入ると、外の眩さが嘘のよう。微かに車の走る音や話しながら通り過ぎる人の声が聞こえるものの、外の喧騒が静まった薄暗いアトリエのL字に設えられた客席。
部屋の左手隅の客席ぎりぎりに、テーブルを挟んで向かい合わせにソファが置かれている。手前のソファの斜め後ろの席に着く。
右手のいつも客席のある場所に、壁を背に斜めに置かれた黒地に銀糸の織柄が施された布張りの猫足の肘掛椅子が一脚と、椅子にぴったりとくっつくように花が生けられた、アンティークの小さなミシンテーブルの様な形のサイドデーブルが置かれている。
事前に知っている事と言えば、この舞台が“任侠コメディ”で、劇中にオセロゲームが登場するらしいということだけ。
ぼんやりと点っていた明かりが消え、一瞬の暗闇から明るくなると、見習いらしき若い暴力団組員と出前に来たラーメン屋の店員。
岡持ちの中身が本当にラーメンなのか押し問答している内に、銃声が響きあわやと思った瞬間、銃声は空砲、撃たれたと思ったラーメン屋の店員は、組に入りたてで若い組員は知らなかっが、自分が所属する組の先輩組員で、ラーメン好きの姉さんのラーメン屋ごっこにつき合わされいる事がわかるところから、『誤射 〜葵祭の陰で〜』の幕が開いた。
8年前の葵祭で、当時、烏会の組長だった辰巳寛治が撃たれ、若頭の梶田(小西優司さん)が疑われたが梶田は無罪、若頭の梶田が組長となったが、辰巳寛治の息子・圭一(岡田雄樹さん)はそれを不服として組を離脱し、新しい組を立ち上げる。
それから3年後の葵祭、前組長辰巳を撃ったと思われる男を撃とうとした梶田が、その男と瓜二つの刑事四課の円山を誤って銃殺する事件が起きるが、組の存続のために組員である堀田(高村賢さん)が梶田の身代わりとして出頭し、刑務所へ…。そこで堀田が耳にした事とは?
前組長辰巳寛治は誰に撃たれたのか?梶田はなぜ誤射したのか?梶田はご謝したのか?梶田の誤射でなければ円山は誰に撃たれたのか?
謎が謎を呼び、「誤射」事件は8年の時を経て、堀田の出所と共にその終焉を迎える。
ちょっぴり切ない任侠コメディというのが『誤射 〜葵祭の陰で〜』のあらすじ。
笑いあり、しみじみあり、アクションありの面白い舞台。何度か、演劇集団アクト青山の舞台を観ているが、アクションがある舞台を観るのは初めてで、演劇集団アクト青山の部隊でアクションがある舞台は珍しい。
この舞台のブログを書くにあたり、何処に焦点を置いて書くか決らず、なかなか書き始められなかったのだが、面白いと思った事に焦点を当てて書いてみる。
“葵祭”といってまず、頭に浮かんだのは『源氏物語』の葵の上と六条御息所の葵祭の見物をめぐる牛車の車争いの場面。六条御息所と言えば、娘の斎王。“葵祭”の見どころは、斎王代の行列と勅使代の行列下鴨神社から上賀茂神社に行く「路頭の儀」の行列だとか。
それを踏まえると前皇太子妃の六条御息所と太上天皇(譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊号、または、その尊号を受けた天皇。)に準ずる待遇の准太上天皇(あくまでも太上天皇に準ずる待遇であり、役職ではない、光源氏の最終役職は太政大臣)光源氏の正室葵の上の車争いの意味するところと『誤射 〜葵祭の陰で〜』の登場人物の相関図が重なって来て、だから、“葵祭の陰で”というタイトルになっているのかと気づく。
前組長辰巳寛治は斎王で息子圭一は、斎王代、組の若頭だった梶田が勅使、組員の堀田は勅使代。
刑務所に入っている間、外の世界と隔絶された孤独の中、堀田の耳に届くのは、梶田に関する悪い噂。それは、堀田に梶田への疑念を起こさせ、梶田への信頼を崩し梶田への憎しみを芽吹かせ、それはまた、言葉によって信じるものを奪われる事であり、言葉や権威にひれ伏すことなく“仁義”を基に生きる梶田との対比を感じた。
『源氏物語』の葵祭と堀田の置かれた状況が、辰巳寛治の息子・圭一を始め、3年前の誤射の際にも暗躍した烏会のケツ持ち(トラブル解決の際に出てくる巨大組織やそれに相当する人)国会議員の篠山(菊池正仁さん)とその秘書見崎(相楽信頼さん)など、登場人物ほぼ全員が出所した堀田を待つ者達へと重なり、それが劇中で演じられる『リア王』の人物の上に重なるという面白さ。
部屋の隅のソファで一人、オセロを始めた見崎、堀田を待つ間の暇潰しに、何かしようとなり、オセロだけにシェークスピアの『オセロ』の一場面でも演じるのかと思ったら、じゃない方となり『リア王』のリア王が自分の領土を3人の娘に分け与えるため、各々自分にどんな気持ちを持っているか尋ね、心にもない追従世辞を美辞麗句を並べて述べたてる姉たちとは対照的に、言父リア王への心からの愛故に言葉にする事しなかったコーデリアに憤り、娘に何も与えず追放する第一幕第一場を演じ始める。
『リア王』のこの第一幕第一場もまた、言葉によって信じるものを奪われ、言葉や権威にひれ伏すことなく仁義に生きると重なる。だから、『リア王』なのかと、幾重にも折り重ねられた仕掛けに面白さを感じた。
なぜ『リア王』を演じ始めたかを「インテリやくざ」だからとの答えに、インテリやくざの意味が違うとボソッという一言にクスッとした。
舞台の終結に向かう、堀田が現れその場に居た梶田以外の人間が死に、梶田が去った事を元総理の息子の議員に電話で報告する見崎を梶田始め、死んだと思った全員が取り囲み、落とし前をつける為、見崎を黒幕の元へ連れて行く場面で、ああ、そういうことかとスッキリすると共にやられたという爽快感、幾重にも張られた伏線の面白さを感じた舞台だった。
『リア王』の第一幕第一場の見事さ面白さに、出来うるならば、アクト青山で『リア王』全幕を観たいと思った。
笑いあり、しみじみあり、アクションあり、『リア王』あり、面白くてあっという間の2時間弱、観られて良かった。見逃したらきっと後悔しただろう、芝居の面白さを存分に愉しみ味わった舞台だった。
文:麻美 雪
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