風の強く吹く先週の土曜日、浅草ゆめまち劇場に篠原志奈さんが出演されたDangerous Box綾艶華楼奇譚第四夜『晩餐狂想燭祭~死~』を観に行って参りました。
『晩餐狂想燭祭~弍~』から観始めて、今回で3回目の『晩餐狂想燭祭~死~』Dangerous Box10周年というのも相俟って、今までで一番華やかで艶やかで痛くて哀しく、観終わった後に胸に刺さった切ない棘が抜けずに今もいる。
前回から2年。総勢100人。前回から加わったポールダンスに加え、エアリアルシルク、タップ、前回からの三味線と篠笛に新たにヴァイオリンとお琴も加わって、芝居だけでなく、音楽、ダンス、アクロバット、パーフォーマンスもパワーアップして、Dangerous Boxの綾艶華楼奇譚『晩餐狂想燭祭』でしか紡ぎ出せない世界になっていた。
愛しても愛されない。
愛されても愛せない。
求めても求められない。
求めないのに求められる。
解って欲しいのに解って貰えない。
私が初めて観た、『晩餐狂想燭祭~弍~』の頃から根底に流れている主題は、この思いなのではないかと思っていた。
今回は、私の大好きな一華が一華になる物語であると同時に、八文字が八文字になった物語でもあったのではないだろうか。
綾艶華楼奇譚『晩餐狂想燭祭』のこれまでの内容については、こちらをお読みいただければと思います。
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一華を演じ続けて来た篠原志奈さんは、今回、一華を面倒見る零華を演じているのだが、一華の纏っていた諦観とそれを超越し自ら廓で生き、留まり、命果つるその時まで廓で生きる事を選び取った潔さと強さは、この事があっての、零華があっての事であり、一華が一華となった瞬間の身も心も裂くような痛みと哀しみがあっての事と知る。
それはまた、初手は真面目で優しく奥手だった八文字が、一華に狂おしいまでに執着し、それ故に他者に残酷で冷酷で、金で心を買おうとする八文字へと変え、八文字が八文字になって行く物語でもある。
透明な涙の皮膜に囲われて、抜け出ようとしても抜け出せず、諦観と痛みに蝕まれながら、外に出たいと焦がれた儘、すり減り命を散らすまで泳ぎ続けるか、諦観と痛みを引き受けながら、婉然と微笑み心を凍らせ心を売らず、毅然と矜持を纏い、命果つるまで泳ぎ切る金魚のような花魁の物語。
観る度に、どうしようもなく切なくて、身を切られるように痛くて、膚をチリチリと焼かれるような哀しみが軆を浸す綾艶華楼奇譚第四夜『晩餐狂想燭祭~死~』。
→②へ続く。
文:麻美 雪
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