劇譚*花羽織:特別公演『幸福な死に際』


 2018.3.31㈮ 19:30。

 5ヶ月間の派遣契約期間満了を以ての退職日。引継ぎと挨拶を終え、たくさんの送別の品を抱えて、マリコさん、加賀喜信さん、高山タツヤさんが出演された劇譚*花羽織『幸福な死に際』を観る為に阿佐ヶ谷アートスペースプロットへと向かった。

 人気絶頂の恋愛小説家とこのタイトルだけから想像すると、ある日突然、不治の病に罹り余命宣告された小説家が、それまでの恋愛を思い出し、最後に彼女がその中に見たもの、最後に描き行き着いたものとは...。というのが一番多く思い浮かびそう物語なのじゃないかと思う。

 そんな安易な物語ではない。

 【あらすじ】

 人気絶頂の恋愛小説家花森詩子が、世間からも担当編集者からも、順風満帆だと羨ましがられる恋愛小説家花森詩子と本当の自分の姿の落差に悩み、人が自分に求める花森詩子像を演じ続ける事に疲弊し、思うように小説が書けなくなっている詩子の前に突如現れた『死神』だと名乗る男。

 花森詩子を完璧な女性であり作家と崇拝する女性編集者や詩子を慕う若手イラストレーター、高校時代から詩子を知っているらしい堅物の編集長、花森詩子の大ファンの無名の俳優など、様々な人や男性達との邂逅を経て、花森詩子が辿り着く先にある結末とは....。

 人間と死神の奇妙で温かな数日間を描いた物語。

劇場に足を踏み入れる。一段高くなった舞台の上にあるのは、2つの木箱のみで舞台装置は何も無い。

 客席と舞台の距離も殆どなく、それ故に始まると、自分もまたこの物語の中にするりと巻き込まれて行く。

 私自身、文章を書く仕事もしているので、自分と重なる所も多く、詩子や卯月の台詞で、自身も思った事や言われた言葉がいくつかあり、その辺から涙がポロポロ溢れて、どうしようもなかった。

 花森詩子の場合、編集長の方針によって小説は、全て詩子の恋愛経験を基に書かれているという売り出し方をしてしまった為、高校生の頃、恋愛と言うにはあまりに淡く幼い恋心を抱き、友達と恋人の中間のような付き合いしかなく、その相手が死にその死と彼を引き摺ったまま生きて来た為、恋愛経験もない。

 そんな詩子が、恋愛小説家として売れっ子になるほど、詩子の中では恋愛小説家花森詩子としてのイメージと本来の自分の姿の大きなズレに、自分自身の手で偽り続けるしか道がなく、けれど、息苦しくなって悩む。

 その息苦しさ、葛藤、過去の恋に、恋心を抱いた人の面影に囚われ縛られ、忘れたくないという気持ちが余計に自分を縛り付けてしまう詩子の切なさと哀しみ、向き合うことへの怖さをマリコさんの花森詩子から切々と伝わって来た。

 その詩子が幸せになる様に導こうとする死神丑込(藤本貴行さん)の切なさと丑込自身の抱える哀しみと愛情、死神としての域を越えて詩子に干渉する丑込を監視する柊(川島まゆかさん)が、丑込と詩子の最後の別れの場面で、互いが互いを思いやり、思う心と姿を目の当たりにして、冷酷なまでの柊の目の表情、感情の変化を感じた。

 詩子を慕い、スランプの詩子を心配しふんわりと励ましていた加賀喜信さんの巳船が、柊に操られ詩子を後ろから抱きしめて言い寄る場面では、巳船の小悪魔的な色っぽさにドキリとしたり。

 詩子が恋心を抱いた人の弟で、当時詩子に淡い恋心を抱き、未だに兄を想い、兄の死と面影を引き摺っている詩子を心配し、思う編集長猿渡(水村拓未さん)の不器用な優しさに切なくなる。

 花森詩子の大ファンで、公園で偶然詩子と出会い、詩子の書く言葉や文章には温かさがある。生きた言葉を書く。と言う高山タツヤさんの卯月竜の言葉に、私自身が似たような言葉を言われた事があったのが重なり、じわじわと涙が滲んだ。

 卯月が詩子にベンチに座るように勧める時、ササッと手で埃を払う仕草に、卯月の人としての優しさと温かさを見た。

 詩子の抱えた、世間のイメージと本来の自分の姿のズレに悩み葛藤する姿、忘れられない淡い恋、人の求めるイメージを壊さない為、自分の手で自分を偽り続け、疲弊して行き、誰にもその事を吐露する事さえ出来ない苦しさと遣る瀬無さ、其のどれもが、数年前まで私自身抱えていたものだから、この物語が胸の深く柔らかい所に沁みて、ラストは涙が止まらなかった。

 私の書く詩や短編小説などが、恋や愛を書いた物が多い為か、中学の友人に、人目を忍ぶ恋をしているんでしょうと聞かれた事があったり、よく全て私の実体験と思われたりするのだが、書いたもの全てが実体験であり、経験した恋愛だったら心身共に持たない。そんな所も花森詩子と重なって、詩子の心情がよく解る。

 常に思っている事がある。それは、たったひとつの恋でも、いい恋をしたら、そのたったひとつの恋から百も千も万もの小説や詩や芸術やドラマが生まれる。いい恋とは、幸せな物ばかりではなく、切なかったり悲しかったり痛くさえある。

 たったひとつの恋からでも、片想いからでも、そこから幾つもの詩や小説を生み育て咲かせる事も出来る。悲しみや痛みや切なさや苦しみを愛や恋の詩や小説に準えて書く事もあるし、変身させる事だってある。それが、小説や詩を書くという事の要素のひとつでもある。

 苦しく、悲しく、痛く、切なかったとしても、それでも良かったと、好きだと思えるのがいい恋なのだと幸福な死に際見て思う。最後に温かくなって、切なくて優しい素敵な舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

0コメント

  • 1000 / 1000