2018.3.25㈰19:30 友人と二人、千歳烏山にあるアクト青山にテアトロ・スタジョーネ(春)『近代古典傑作短編選 白鳥の歌』を観に行って来ました。
『白鳥の歌』というタイトルを目にした時、遠い記憶の後ろ側で、この言葉何かの比喩だったような気がすると何だかモヤモヤしていた。
帰宅して調べたところ、『白鳥が死の間際に歌うという歌で、その時の声が最も美しいという言い伝えから、ある人が最後に作った詩歌や曲を言うようになった。』とあった。
そうだった。白鳥の歌が死の間際に歌う生きてきた中で最も美しい声で歌う歌。それはまた、人の命の果てる間際の人が神がかったような、透明感のある美しさに輝いているのと似ている。
チェーホフは、高校生くらいの頃に『かわいい女・犬を連れた奥さん』を読んだような記憶が朧気ながらあるだけ。『桜の園』『三人姉妹』『かもめ』とタイトルだけはあまりにも有名なので知ってはいるが、ちゃんと読んだこはない。
同じ高校生くらいの頃に読んだトルストイなら『イワンのばか』『人は何で生きるか』などの方が、読んだという記憶がしっかり残っているという、ツルゲーネフは、高校生の頃一度読んだけれど、ロシア特有の長くて似た名前に、薄い本なのに始終こ『れは誰だっけ、どういう関係だっけ』と最初に戻っては確めを繰り返し、半分読む前に挫折し、きちんと読み直し、『ああ、こういう内容かと理解し、これは今だから解る話で、高校生の小娘が読んでも今ほどは解らなかったな』と納得し、本には出会うべくして出会う時期があるんだなと知った。
そのツルゲーネフの『初恋』の挫折故か、何となくロシア文学は、取っ付きにくく解りづらいものというイメージがあり、ロシア文学やロシアの名作戯曲と呼ばれる舞台は殆ど観ずに過ごして来てしまった。
そこでこの、トルストイの『白鳥の歌』である。観劇を通して親しくなった友人に、「小西優司さんの『白鳥の歌』は、是非観て欲しい。お奨めだから。」と以前から言われていて、どんな舞台なのかとずっと観たいと思っていた。
たまたま、同じ時間の回を予約していて、ならばと二人で観に行ったアクト青山の『白鳥の歌』。
友人が薦めてくれた理由が解った。
観始めた瞬間、『今、凄いものを観ているんだな』と思った。
芝居がはねた後いつの間にか楽屋で眠り込んでしまった一人の年老いた役者、スヴェトロブィドフ。
目覚めた時には夜も深い時刻で、自宅に帰ることもままならず、劇場の中を人が居ないかと探し歩いているところ、金も無く、誰にも気取られないように劇場に寝泊まりしてこっそり住んでいた、ニキータ・イワーヌイチとばったり遭遇する。
家に帰るように再三言うニキータの言葉も聞こえないように、スヴェトロブィドフが、若い頃に演じた役の台詞を次々と諳んじ始めたスヴェトロブィドフ姿をのを目の当たりにしたニキータのスヴェトロブィドフを見る目が変わり、スヴェトロブィドフの滔々と、朗々と台詞を発し、恰もその人物がそこにいるかのような芝居を観て、感動に打ち震え涙を流す流し、一人の年老いた俳優に戻ったスヴェトロブィドフは、嘗ての若く輝かしい頃の自分から今の年老いて、主役の座から脇役へと移ろったが、命の果て白鳥の歌を歌うまで、舞台に立ち続けるのだろうと言う所で舞台は終わる。
足元も滑舌も覚束無いように見えたスヴェトロブィドフ(小西優司さん)が、若い時に演じた役の台詞を次々諳んじる所で、ゴドノフの台詞を言った瞬間、そこには年老いた役者スヴェトロブィドフ朗々と深い声を響かせるゴドノフがいたと思った瞬間、年老いてコーディリア以外の娘達に裏切られ嘘偽りのない父リア王への愛情から率直な意見をし一時とはいえ怒り、手酷く対したコーディリアへの悔恨と姉娘達への怒りと憎しみを吐露するリア王、父を奸計を巡らして毒殺し、母のガートルードと再婚した伯父クローディアスへの憎しみを激しく滔々と語る若きハムレットを、その他オセロを含め6役もの人物を声と抑揚、台詞のテンポや速度、声から滲み出る表情から色彩を変え、恰もその人物がそこに佇んでいるように描き出していて膚の粟立つ思いがした。
私の位置からは、この時小西優司さんは背を向けている状態だったのですが、背中で声だけなのに、年老いたリア王から若きハムレットなどそれぞれの人物が目の前に現れたのは、心底凄かった。
いくら言っても、自分の声も言葉も全く聞いていず、自宅に帰らないスヴェトロブィドフを持て余していたニキータ(倉島聡さん)が、目の前で次々と芝居の登場人物そのままを描き出し、佇むスヴェトロブィドフを目の当たりして、見る目が変って行き、自身もまた役者に憧れ、自分にはその才能がないであろう事を知っていてもなお、芝居に関わっていたいニキータの心の動きと心情の変化を感じた。
最後のスヴェトロブィドフがニキータを抱きしめ言葉をかける場面が、しみじみと温かみがあって、それまで、笑い声が起きていたのにじんわりと涙が滲んで来た。
チェーホフがこんなにわかり易くて面白かったなんて、チェーホフを、そして、久しぶりに劇中でリア王やはハムレットの台詞を聞いて、ハムレットを読み返したくもなった。
凄いものを観た。
40分とは思えない、濃く深く濃縮された時間だった。
スヴェトロブィドフは、ニキータは、その命の終わり、命尽きるその時、その果てにどんな『白鳥の歌』を歌うのだろうか。
それは、きっと、この世で一番美しい歌になるだろう、歌で会って欲しいと思わずにはいられない。
文:麻美 雪
0コメント