ortensia:第二回公演『椿と女囚、月の夜』

 寒さの中にも仄かな春の暖かさを感じた土曜日の夜、千歳烏山のアクト青山に、飯田南織さんと小西優司さんの二人から成る、ortensia第二回公演『椿と女囚、月の夜』へと急ぐ。

 生温い気怠げな声で歌われるジャズが一瞬高鳴ると同時に、光が引き絞られてゆくようにゆっくりと静かに暗闇へと移ろい、やがて全ては夜の闇のような黒に塗り込められる。
 塗り込められた夜の中に、誰かが入って来たような気配がする。母猫のお乳を求める子猫のような赤ん坊の泣き声と外を吹き荒ぶ雪風の音。

 ランプの灯が灯るように次第に仄暗い明るさが差し込み、ぼんやりと浮かんだのは、左手に置かれた書き物机に向かい、原稿用紙に向かう1人の男(小西優司さん)。ここはどうやら男の書斎のようだ。

 雪の夜のような深(しん)と張り詰めた空気が漂う部屋の中。男が過去の記憶を手繰り寄せながら話し始め、『椿と女囚、月の夜』への扉が開く。

 ぼんやりとした薄明かりの中に、滲むように現れたのは、魂の抜けた人形のような或いは仄かに魂を宿し始めた人形のような、鳥の子色の地に花を描いた友禅だろうかの着物に、朱華(はねずみ)色の地に小花を帯一面に描いた帯を締めた一人の女、女の名は黒川栞(飯田南織さん)。生まれて間もない息子を母の元に残し、夫を殺めた罪で獄に繋がれ、刑の執行を待つ女囚。

 あの日、雪が降らなかったら。あの日、看守である男が、その為に30分早く出勤しなかったら。当直の時間までの看守ではない、一人の人間として存在していられるその30分が無かったら、その30分の間に女の話を聞かなかったなら、男の運命は変わらなかっただろう。

 あの雪の日の30分が運命を動かし、一人の男の、看守の運命を変えた。

 この舞台は、一人の看守と一人の女囚、一人の人間と黒川栞という一人の女の物語。
 舞台装置と言っては、男の座る書き物机と栞の座る椅子が一脚あるきりで、他に何も無い。

 何も無いのに、私の目の中と脳裏には、真白な雪の上に、女の胸から滴った血のような、はらはらと散敷く紅い椿の花びらが、40分のこの芝居が終わるまで、ずっと見えていた。

 子供の頃、冬、真っ白な雪の上に散った、紅い椿の花びらを見て、女の心が流した血や涙のように見えて、何だかとても切なくて怖さと哀しさを覚えた。

 張り裂けそうなほど切ないのに、怖いほど痛ましいのに、不思議な程に美しくて、体が冷えるのに動けずに夕暮れの周りには誰もいない、当時住んでいた団地のすぐ側の大雪の降った後の公園の雪に散敷くその花びらに魅入っていた、10歳に成るか成らずのあの日の光景を思い出していた。

 そんな事を思う自分は、随分ませた子供のように思うけれど、小3で高村光太郎の『智恵子抄』を読み、バイブルのように読み返していて、恐らくは今より大人のような感受性を持っていた当時の私は、雪の上に散敷く紅い椿の花びらを見てはっきりあのままの言葉を脳裏に浮かべながら、切なくて泣きそうになったいた記憶が今も鮮やかに残っていて、椿といえば血のように紅い椿が椿だと思う子供になっていた。

 そんな事を思い出し、何となく『椿と女囚、月の夜』のタイトルの椿は、女囚の血、涙を表しているのではないかと思った。

 子供が生まれた時の事を『月が綺麗な夜でした』という栞の言葉を聞いて、ふと夏目漱石が訳した『月が綺麗ですね』という言葉を思い出した。

 これは、『I LOVE YOU』を漱石が訳した言葉。『愛しています』という翻訳がなかった頃のこと。

 漱石の『月が綺麗ですね』が『愛しています』と栞の『月が綺麗な夜でした』は、どちらも『愛』を表しているのではないか。
 黒川栞の『愛』は、息子への渾身の『愛』。故に、子供に『月』という名を『お前を愛してるよ』という思いを込めて付けたのではないのか。

 殆ど舞台装置という物のない空間で、看守と黒川栞の紡ぐ言葉だけで、そこに無いもの、見えないものが描かれる時、無いはずのもの見えないものがあるが如くに存在し、見えてくる。

 栞が子供を抱いてあやす時、空っぽの腕の中には、確かに生後間もない静かな寝息を立てる乳呑み児がいて、栞を虐げ、あろう事か栞の母と情を通じた事を夫に告げられる時には、居ないはずの妻を虐げ、人間として扱わない傲慢で酷い夫がそこに居る。

 夫が栞にどれ程残酷な仕打ちをしたか、夫についての事細かな説明は一切ない。ないにも関わらず、看守との会話の中で、観客は、夫が栞にしたであろう仕打ちや投げつけた言葉を想像し、そこにいない栞の夫に憤懣と嫌悪を抱く。

 時々上げる、栞の狂気を孕んだ笑い声が、胸を抉り、今でも耳から離れない。その笑い声は最後に悲しみと看守と言葉を交わし、その事によって命の最後になって、やっと、自分の言葉を解ろうとし、栞の抱えた絶望と諦めと僅かに残る正気と意識、栞が確かにこの世界に居たと覚えていてくれる人に出会えた仄かな喜びを帯びていたように思う。

 40分、張り詰めた空気が漂っていたが、その張り詰め方は、雪の夜の人気のない、この白い夜の暗闇の中にだけ流れる深(しん)と静かな張り詰め方であり、神経を引き絞るそれとは違う。

 看守と黒川栞の間にあるのは、男女の感情のそれではなく、同情でもなく、人と人との腹の底にある何か深いもの。
 それを敢えて言葉にするなら、1人の人間と人間の微かな感情の交感だったのではないかと感じた。

 声のトーン、言葉の間合い、速度、それだけで時の流れ、無いものをあるが如くに見せ、見えないものが佇み、存在し、ふたりの人間の感情の変化、色彩を変えてゆく凄みに膚が粟立った。
 
 幾つもの記憶の引き出しが開き、様々ななものが頭と全身を駆け巡り、今もまだ、全てをうまく言葉に紡ぎ切れてはいない。

 一言で言うと凄かった!という事に尽きる。40分という短い時間の中に、ぎゅっと凝縮された時間、感情、思いが胸に焼き付いて消えない。

 短いようであり、この芝居の中の時間をそのまま自分も体験したような、2時間の芝居を観たような上手く言葉で表現出来ない、今までに味わったことの無い深く濃い時間の体感をした舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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