高山タツヤさんのエーヴェルスは、去年よりも怖く、退廃的な艶(いろ)っぽさと狂気が増していて、ゾクリとするほどのほの暗くも甘やかで妖しい夜の闇の煌めきを放っていた。
1年前の高山タツヤさんのエーヴェルスは、表面は優秀で柔和な紳士な医師という仮面の下に隠した、毒に魅入られた男の狂気とその仮面の下の漆黒の闇が露になってゆく姿にぞわぞわと鳥肌が立つエーヴェルスが、今年は更に色気と妖しさと前半の穏やかで紳士に装った顔と後半の狂気を孕んだ怖さの対比が去年以上に落差があり、ゾクリと背筋が粟立つような怖さを感じた。
前半のエーヴェルスが柔和で、世慣れて洗練された物腰、甘やかな色艶気(いろけ)を放つほどその顔の下に隠した、“毒”に魅せられ、“毒”を愛し、“毒”に異常に執着し、無自覚な狂気へと堕ちて行く姿の落差が引き立つ。
アルラウネの花の毒を手に入れる為、かつて偽りの父性で毒に耐性のあるカルパスをアルラウネを引き抜く道具として、自らの出世の道具として利用しようと養育し、アウラウネの娘ロゼマリーを地下に監禁し、出世の為にフローラの父を無実の罪で絞首台送りにし、薬学を学ぶ学生だったフローラの動向を知る為にフランツを助手にし、自らの奸計で『アルラウネの館』を焼け落ちさせた時に居合わせ大怪我をしたフランツの代わりにフローラを利用する為に助手にし、最後はカスパルによって、アルラウネに絡みつかれたその毒で命を奪われるエーヴェルスの狂気と怖さの対比が鮮やかになり、ゾクゾクと背筋が粟立つエーヴェルスだった。
黒紫を纏った夜の蒼い闇の中に、暗く煌めき瞬く唐紅(からくれない)の毒を孕んだ、エーヴェルスの狂気とそこはかとなく漂い、身に纏った退廃的で妖しい色艶(いろ)っぽさは、悪なのに惹かれてしまう自身が甘くて怖い毒のようなエーヴェルスであり、エーヴェルスは高山タツヤさんでなければ表現しえなかったと思った。
『人は、誰しもその身に毒の種を持って生まれて来るのかも知れない。
だが、それを根付かせ育て、人の運命を狂わせ殺めてしまう毒と自らなるのか、その種を発芽させることなく、種のまま朽ち果てさせることが出来るかは、運であり、その人の人生の中で出会う人と、巡り合わせなのではないのか』と去年は書いた。
しかし、今年のエーヴェルスを観て思ったのは、稀に、善悪の価値観の壊れた人間が存在するということ、どうしようもなく危ないもの悪いものに惹かれ、自ら制御する事が出来ない人間、暗く魅せられ惹かれて魅入られて周りを巻き込み、自らも破滅せずにはいられない宿命を持って生まれてくる人間も居るのではないかと思った。
このエーヴェルスの名であるが、今回の『アルラウネの滴り‐改訂版‐』を書くにあたって調べていて、人工受精で生まれた同名の娘をめぐる怪奇小説として知られる、アルラウネをモチーフにした小説、《アルラウネ》(1911)の著者エーウェルスから取ったものではないかと思った。
アルラウネの毒に捕えられ、命を奪われた事は、もしかしたら、毒に魅入られたエーヴェルスにとっては、至福の命の果て方だったのではなかったのか、だとしたら、やはり、エーヴェルスは、この世界で一番怖く、猛毒ゆえの甘美な色艶(いろ)気に、その烈しい毒性の為に、悪役なのに惹かれてしまう女たちもいるのではないかとも思う。
※エーヴェルスの色気は、『色』ではなく、色艶(いろ)という字のイメージ、艶やかで危険な馨りがするので、敢えて、この字をあてた。
文:麻美 雪
→④へと続く。
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