幻想芸術集団 Les Miroirs第7回本公演:『アルラウネの滴り‐改訂版‐』①

 晩秋にしては麗らかで、ほんのり汗ばむような暖かさの土曜日。約1年ぶりの阿佐ヶ谷シアターSHINE。幻想芸術集団 Les Miroirsのアルラウネの館へと去年観た、『アルラウネの滴り』の再演、『アルラウネの滴り‐改訂版‐』を観る為足を踏み入れた。

 席に着き、気づけば無意識のうちに去年と同じ席に座っていた。

 毒気を含んだ禍々しい赤紫色の灯りに染まり地から生えたように、手の甲を苦し気に天に向けた肘から先を象った石膏像が舞台中央に置かれている。

 観た瞬間に、一年前のあの妖しく美しく濃い空気が甦って来た。

 赤紫色に染まった腕が血のような、燃えるような紅に染り、ぞくりとする妖しさに震えた瞬間、アルラウネの舘の扉が開いた。

 去年は、その天に差し向けられた手の真上に、絞首台の縄が下がっていたが、今回はその縄はなく見えるはずはないのに、それは確かに今年もまた、指し伸ばされた腕の上に視えた。

 去年は、まるで、焦がれても手の届かないい何かを求め、掴もうとして掴み得ず踠く(もがく)ように天に向けて伸ばされたと見えたその手が、今年は、悲しみや苦しみ、憤り、何かを引きずり込もうとするような、去年よりももっと強い何かを投げかけて来るような感じがした。

 何かとは何だろう。それは、自分を無実の罪に陥れ、処刑した者へ向けての憤怒若しくは悲しみ、残して行く娘フローラへの気がかり、この世に残す未練なのか、それら全てを引っ括めた絶望だったかも知れない。

 冒頭のこの瞬間から、去年とは違う『アルラウネの滴り‐改訂版‐』を感じ、引き込まれて行った。

 どう言えばいいのか、私の中で『アルラウネの滴り』は、紫のイメージで、その紫の中に緋や黒、蒼い闇の色がちらちらと瞬き煌めいているイメージなのだが、今年はその紫の悲しみと愛憎が、去年より更に色を濃くし、仄見える緋や黒、蒼い闇の色がより強く妖しく煌めいて胸を射抜く感じがした。

 『アルラウネの滴り‐改訂版‐』について書く前に、『アルラウネ』について調べた事を要約して触れておく。

 アルラウネとは、絞首刑台の下、無実の囚人の嘆きが滴る土に咲く花で、 その毒花の根は世にも美しい娘の姿を育むと云われており、奇怪な魔力と毒性をもつ為、その採取はきわめて危険であるという。

 アルラウネの花を引き抜く時、乙女の断末魔のような痛ましくもおぞましい悲鳴が上がり、その声を聞いたものは気が触れて死に至るとも言われる為、引き抜く際は、抜く者は叫び声を聞かぬように遠くに離れて耳を塞ぎ、縄につないだ犬に引き抜かせる方法が取られたという。アルラウネの叫び声を聞いた犬は死んでしまうらしい。

 また、ドイツ語のアルラウネAlrauneはマンドラゴラの異名で,アルラウネをモチーフにしたエーウェルスの小説《アルラウネ》(1911)は,人工受精で生まれた同名の娘をめぐる怪奇小説として知られる。

 そうして手に入れたアルラウネは、赤ブドウ酒できれいに洗い、紅白模様の絹布で包み、箱に収め、毎週金曜日に取り出して風呂で洗い、新月の日には新しい布を着せなければならないという。(←この部分、後々アルラウネの娘たちとカスパルのある場面で出て来きます。)

 また、アルラウネにいろいろ質問をすると、未来のことや秘密のことを教えてくれる為、アルラウネを手に入れたものは裕福になるが、アルラウネにあまり大きな要求をすると力が弱って死んでしまうこともあり、持ち主が死ぬと末の息子がこれを相続する。

 相続する時は、父の棺にはパンの切れ端と一枚の貨幣を入れなければならず、息子が父より先に死んだら所有権は長男のものとなり、この時も末の息子の棺にパンの切れ端と貨幣をいれなければならない。

 アルラウネは、古くから薬草として用いられたが、魔術や錬金術の原料としても登場する。根茎が幾枝にも分かれ、個体によっては人型に似て、それが娘にも見える事があったのだろう。アルラウネには幻覚、幻聴を伴い時には死に至る神経毒が根に含まれる。(←毒に魅せられたエーヴェルスがアルラウネの花とその花を死なずに摘み続けられる人間を得ようと、毒の魔力に取り憑かれた狂気を孕む人間へと堕ちて行くイメージはここからではないかと推察する。)

文:麻美 雪

→②へと続く。

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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