芸術集団れんこんきすたの27:『木立によせて』~第二部『白樺のいたむ瞳』編~

 10分の休憩を挟み、第二部『白樺のいたむ瞳』の幕が上がる。
 葉を落とし、紅く染まった寂しい木の下に、一脚の木のベンチが置かれた舞台。
 ジュイシェンが、戦場に散ってから時は流れ、戦争が終結した後のキルギスの片隅の町。

 ジュイシェンの最後の手紙に書かれていた『何の為に勉強したのか。後悔している。』という言葉が、勉強する事を教えた自分を責めた言葉だと思い込み、自分が学ぶを教えた為にジュイシェンは志願して戦争に行ったのだと自らを責め続け、人に教える事に怯え、自信を失くし、窶れ、目に力なく、抜け殻のようになったオリガ先生(中川朝子さん)と両親を亡くし、嫌々ながらも引き取り、育ててくれた叔父夫婦に、羊1頭と引き換えに父親ほども年の離れた金持ちの2番目の妻として嫁ぐ為に、簡単な読み書きと算術を習いに来る少女アルティナイとの物語が紡がれて行く。

 中川朝子さんの第一部『ポプラの淡き翼』の教える事に情熱を持ち、熱心にジュイシェンに勉強を教えていたオリガ先生の姿はそこにはなく、教える事を怖いと思っている抜け殻のようなオリガ先生の姿に胸を突かれる。
 最初は、ジュイシェンの言葉で自らの心を縛り、言われた事だけを何処か渋々と教えていたオリガ先生が、従兄弟や叔父夫婦からは蔑まれ、こき使われ、自分のおもちゃ等を取り上げられ続ける辛い思いをしながらも、直向きにオリガ先生に言葉を教えて欲しい、勉強を教えて欲しいと喰らいつくアルティナイが文字や言葉を覚える度に、教える事に情熱を持っていたかつての瞳の煌めきがちらちらと揺れ、少しずつ、オリガ先生の中にも火が灯されて行くのを感じた。

 『なぜそんなに勉強したいのか』と問うたアルティナイの『先生から教わった事は誰も盗むことは出来ない私の宝物』という言葉に胸を突かれ、オリガの落としたジュイシェンの手紙を見てしまったアルティナイの『オリガ先生が好きだから、必死で戦争に行くなと止めてくれた先生の言葉を聞かなかった自分に対して、何の為に勉強したのかと後悔し、オリガ先生の静止を振り切って戦争に加わった事を後悔していると言っているんだと思います。』という言葉に、目を開かれ、心を救われ、かつての情熱を取り戻して行くオリガ先生の姿を、その声と仕草、表情と全身でオリガ先生の抱えて来た年月と心の葛藤がヒリヒリと伝わって素晴らしかった。

 木村美佐さんのアルティナイは、最初はおずおずと、芽吹き伸び始めた白樺のように頼りなく、儚げであったのにオリガ先生によって開かれた知の扉によって、字を覚え、言葉を覚え、自分の中に実を結び、学ぶ楽しさ、『先生から教わった事は誰も盗むことは出来ない私の宝物』だと気づいた瞬間から、白樺の若木のようなしなやかな強さと折れない心を持った真に優しい、少女から大人へとなって行く姿に胸を掴まれた。

 アルティナイの最後の『私、幸せになります。勉強も続けます。』という言葉にこれから訪れる苦難や困難にも立ち向かって行くと言う決意と学ぶ事によって得た強さ、アルティナイの健気な直向きさと優しさが胸に迫り、涙がとめどなく溢れた。

 学ぶという事の大切さ。勉強は知識と情報を身に付けるために必要だが、ただ知識が有ればいいのではなく、得た知識、情報を基に自分で考え、精査し、何が真実で何が誤りか、得た知識と情報をどう活かすか、何が大切かを知り、その知識と情報を軆に染み込ませ消化し、昇華するのが教養と知性。

 そうして得た教養と知性は、何があっても、誰であっても、何者にも奪われることはなく、自分の中の教養と知性は、誰にも奪う事は出来ないという事、1度手に入れたら奪われないもの、自分の中から無くなりはしないものが教養と知性だと、アルティナイの言葉を聞いて思った。

 『木立によせて』は、学ぶ事の意味と大切さ、学んだ事をどう活かし生きるのか、自分で考え、判断する力を持つという事とその意味、そして、本物の教養と知性は常に自分の中にあり、誰にも奪う事が出来ない宝物であるという事を感じた舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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