先週の土曜日、降り続く雨を縫って、新中野のワニズホールに芸術集団れんこんきすたの『木立によせて』を観て参りました。
芸術集団れんこんきすた主宰の中川朝子さんからも、出演される木村美佐さんからもこの舞台への思いなどを聞いて、きっとすごい舞台になると思っていたけれど、私の予想など遥かに超える本物の素晴らしい舞台でした。
今回、作・演出の奥村千里さんの緊急手術や入院もあり、奥村さんご自身のみならず、出演される中川朝子さん、木村美佐さん、石渡弘徳さんも 『木立によせて』を書き上げ、上演できるのか、不安に思った事も焦りを感じた事もあっただろうし、奥村さん退院後の舞台稽古も想像を絶する程大変だったに違いない。
そんな、予期せぬ事態をも微塵も感じない程の質の高さと完成度、そして何よりも『木立によせて』への思いとそれぞれが演じる人物そのものの想いと熱が膚身に心の奥底奥深くにビリビリと感じる圧巻の素晴らしい舞台で、魂が震えた。
私にとっても、『木立によせて』は特に思い入れが強く、一生心に刻まれる舞台となり、長いブログになりそうな為、数回に分けて書きますが、ゆるゆるとお付き合い頂ければ幸いです。
と言うことで、先ずはこの『木立によせて』のモチーフになったチンギス・アイトマートフの『最初の教師』についての要約からこのブログを始めます。
『最初の教師』は、キルギスの作家チンギス・アイトマートフによって書かれた小説。以下に調べて要約したものを記してみた。
『最初の教師』は、キルギス共和国が現ソビエト連邦の一部だった頃のクルクレウと呼ばれる小さな部落で、学問とは無縁な生活を送る子供たちに勉強を教えるという情熱で、一人だけで学校を建て、唯一人にして子供たちの最初の教師となったジュイシェンと、ジュイシェンの気高い心に惹かれ、愛し、彼の意志を継ぎ立派な学者となったアルティナイの物語で、ジュイシェンから学ぶ事の大切さを知ったアルティナイと、アルティナイに教える事で人に教えるという事と教師という職業の本質がどういうところにあるのかをアルティナイの手紙による告白というスタイルをとって描かれた小説。
この小説を下敷にして描かれた『木立によせて』は、このジュイシェンに勉強を教える教師オリガとジュイシェンを描いた第一部『ポプラの淡き翼』とアルティナイと教師オリガを描いた第二部『白樺のいたむ瞳』の二部構成になっている。
キルギスの小さな村という設定とジュイシェンとアルティナイという名前、教えるという事、学ぶという事についての大切さと意味を描くという点はチンギス・アイトマートフの『最初の教師』の要素が入っているが、それを下敷にして書かれたものは、奥村千里さんの、そして芸術集団れんこんきすたの独自の物語になっていた。
芸術集団れんこんきすたの『木立によせて』を観た時に頭を過ぎったのは、高校一年生の現代国語の時間に習ったアルフォンス・ドーデの『最後の授業』だった。
長くなったので、『最後の授業』については、次回書きたいと思う。
『木立によせて』ブログは、まだまだ続きます。
文:麻美 雪
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