スタジオアプローズ・プロデュース第2弾:『燕のいる駅』①

 先週の土曜日、雨の切れ間を突いて、お昼から夜まで、2ヶ月ぶりに両国のスタジオアプローズに、濱野和貴さんと小松崎めぐみさんが出演されていた『燕のいる駅』を観に行って参りました。

 『燕のいる駅』は、1つの話をAチームとBチームの2組のキャストで演じる舞台。
 Aチームには濱野和貴さん、Bチームには小松崎めぐみさんが出演されていたので、両方のチームを昼夜連続で観劇。

 更にこの日は、Aチームが、一足先にこの回が千穐楽を迎えたので、両チームを観られる最後の日でもあった。

 『燕のいる駅』は、「日本村四番」 という古き善き日本の再現及び保存を目的とした人工島に造られた「四番」町と本土とを結ぶ唯一の交通手段の駅に取り残されてしまった男女7人、外の世界では何が起こっているかわからない状態ながら、終わりが近づいているような気配があり、その事に気づいていない訳でもなく、何か変だなと感じながらも、まだあまり危機感を感じていないのんびりした人たちののんびりしつつも何処か切ない話。

 2ヶ月前、めぐみさんがクマリを演じた芸術集団れんこんきすた『かつて、女神だった私へ』を観に来た時も雨だったと思い出しつつ、劇場に入ると、いきなり、木のベンチの上に仰向けになりクッションを抱えて、気持ち良さそうに眠っている一人の男性(Aチームのローレンコ三郎の濱野和貴さん)がいた。
 『燕のいる駅』の世界は既にここから始まっていた。

 両チームとも、開場と同時に日本村四番駅乗務員休憩室の木のベンチの上で眠り続けるローレンコ三郎(濱野和貴さん/村松優太さん)の長閑な情景から始まる『燕のいる駅』は、決して派手な舞台ではない。

 言い知れぬ不安・危機が迫っているようなのに、どちらかと言えば、淡々とのんびり、ユーモラスに進んで行く。

 終盤に向かって、少しずつ不安や危機を感じ始め、気づかないように、怯えないように、隠していた各々の心情の吐露もあり、緊迫する場面もあるのだが、やはり、何処か淡々とした可笑しみを以てのんびりと織り成されて行く世界。

 感動させようとか、何かを強く訴えようとか、最後に各々が不安や怯えを吐露し、世界の最後に人間は何を考え、その人の本質を曝け出して云々という哲学的風思考を促し、感じさせようという芝居とも違う。

 人が、世界が終わるかも知れないという最後の時に考え、思い、行動するとしたら、きっとこんな風に呆気ないくらい普通で、淡々とのんびりユーモラスで、でもやはり、ちょっと不安で、怖くて、最後は何が何だか分からないまま、普通の中で終わって行くのかも知れず、それが、こういう際の人間の反応なんだろうなと思った。

 人間てそんなものだよね、しょうが無いね、愚かででも愛しいよねって感じだ。

 考えるより、何かしみじみ胸の奥底に感じた。
 ②へ続く。

文:麻美 雪
 

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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