あやめ十八番:『三英花 煙夕空』~序・『旧平櫛田中邸アトリエ』~

 先週末観た、あやめ十八番『三英花 煙夕空』の観劇ブログを書くにあたり、今回公演が行われた場所が、通常の劇場やライブスペース、シアターカフェ等とは違う場所だったので、先ずは舞台が上演された『旧平櫛田中邸アトリエ』について説明した方が、より舞台の雰囲気が伝わると思うので、まずは『旧平櫛田中邸アトリエ』のご紹介。

 あやめ十八番『三英花 煙夕空』が上演されたのは、上野桜木にある『旧平櫛田中邸アトリエ』。

 観に行ったのが夜の回だったので、着いた時にはアトリエは、とっぷり夜の色に沈んでいて玄関から零れる灯でかろうじて玄関先だけが浮んでいると言った感じで、外観や家の中を撮る事もままならなかったので、当日頂いた『旧平櫛田中邸アトリエ』のパンフレットの写真で、雰囲気をお判り頂ければと思います。

 外観は、日本家屋風ですが、玄関を入ってすぐ右側は和室の茶の間で、小体な庭があり、台所もちらりと見えました。
 左に数歩進むと、硝子戸に囲まれた板張りの床のアトリエがあり、『三英花 煙夕空』はこのアトリエで上演されました。

 パンフレットによると、上野桜木にある『旧平櫛田中邸アトリエ』は、大正8年、横山大観、下村観山、木村武山ら、 名だたる日本美術院の画家たちの支援により建てられ、日中安定した自然光を得るため北向の天窓を備えた近代アトリエ建築の先駆けでもあるそう。 

 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)が此処に住んだのは、大正11年にアトリエの傍らに伝統的日本家屋を建て、家族と共に小平に転居する昭和45年までの間。その後、旧アトリエ・住宅は故郷の井原市に寄贈され、現在は通常非公開だが、 井原市の協力の元、平櫛田中の顕彰と建物維持、新たな芸術文化の育成・発信を願って、 地域やNPO、東京芸大等の有志により掃除・修繕と公開活動が折々行われており、平成21年からは展覧会、研修、コンサート等で活用している。

 このアトリエの主だった平櫛田中の事にも、ちょっと触れておきましょう。
 この平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の田中は旧姓で、『智恵子抄』で知られる高村光太郎の父で彫刻家の高村光雲の門下生となり、日本の伝統彫刻と近代美術の写実性を融合し、禅や歌舞伎にも学び、それらを自身の彫刻にした代表作を持つ彫刻家。

 『三英花 煙夕空』が上演されたこのアトリエは、大きいという程ではなく、真中で芝居をする役者さんをくるっと1週取囲むように椅子を配置すると一杯になってしまう広さ。
 当日、観客は恐らく20名位だったかと思う。

 薄明るい照明の中で行われた『三英花 煙夕空』は、この『旧平櫛田中邸アトリエ』だからこそ、より、その世界の中に違和感なく溶け込み、入り込んで観られたと思うアトリエでした。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

0コメント

  • 1000 / 1000