ゲイジュツ茶飯vol.1:『スターターピストル』

 今回、『スターターピストル』のブログをいつものような形で書こうとすると難しく、どう書こうか考えあぐねた。

 それは、4本のオムニバスの芝居にはタイトルがなく、役名もあるようで無いような、劇中呼び合う場面はあるものの、芝居の中で呼び合う頻度が少なく、『かもめ』や『人形の家』の場面が盛り込まれている為、それぞれの戯曲の登場人物の名で呼び合う頻度が多く、話の世界に集中して聞き逃すと、はて何だっけとなってしまったからである。

 故に、『スターターピストル』の感想を、いつも通りに順を追って書こうとすると、それぞれが少しずつお互いに関わり、お互いに干渉する(ここでは二つ以上の波が重なって互いに影響しあう現象の意味の干渉するとして使っています)ので、順番通りに書くと伝わる様に書けないので、舞台を観て強く印象に残った事、思った事、感じた事を取り上げて書かせて頂きます。
 
 地下へと続く階段を降り、劇場に足を踏み入れ席へと着き、目を舞台に転じると、舞台右手に1脚の気のベンチ、そのまま視線を右上に移すと、天井から楕円形の大きな銀紙の球のようなものが3つ下がっている。(この球、舞台の幕が上がると電球を覆うシェードのようなものと分かった。)

 舞台の装置と言えるものは、この2つだけ。近代古典のチェーホフの戯曲『かもめ』とイプセンの戯曲『人形の家』を下敷きにして描かれるというこの舞台、さひがし ジュンペイさんの手によって、一体如何なる世界がこの小体(こてい)な空間に描かれて行くのだろうと、開演前に流れるビートルズの曲を聴きながら、ビートルズの時代と何か交錯する部分のある芝居なのだろうかと考えているうちに、いつしか曲は沢田研二の『追憶』へと変わり、ジュリーが『ニーナ』と繰り返す声が大きくなるにつれ、舞台は暗くなり、『スターターピストル』の幕が上がった。

 チェーホフの戯曲『かもめ』の作家として成功したかつての恋人トレープレフが仕事をしている所へ、巡業で近くに来ていたニーナが現れ、「私はかもめ」という謎めいた言葉を残し、感動の再会も束の間、「あなたを永久に愛ら、ここに留まって欲しい」というトレープレフの申し出を振り切り、ニーナは立ち去る場面を盛り込んで描かれた話は、オーディションの為この場面のニーナの台詞を練習する下積みの女優(井料明里さん)と、練習相手(浅沼真夏果さん)としてトレープレフ役を務める友達が、此処に留まって欲しいと言うトレープレフを振り切って、女優として生き続ける事を選択し、此処から新たに女優としてのスタートを切ろうとするニーナとオーディションに合格する事で自分の女優としての本当のスタートを切ろうとする下積みの女優と、ニーナの愛は芝居と自分が女優であるにしかなく、自分の愛が永遠の片戀である事を思い知らされたトレープレフの絶望と、下積みの女優の親友として練習相手をしながら、自分と親友の思いの温度差に何処か言い知れぬ寂しさと孤独を感じている友達の心情が交錯し、重なり合っているように感じた。

 ニーナが立ち去った後に、銃声が響く場面の銃声を盛り込んで描かれた、声優のオーディションを受ける為、友達の家に行って練習しようとするその友人と連れ立って公園を通りかかり、緑道の真ん中に銭湯に持って行くお風呂セットの入った洗面器が置き忘れられているのを見つけた女子高生と二人が通り過ぎた後に現れた、近所の老人ホームに住む二人の老女の話は、年齢と女子高生と老人ホームに住む老女という細かな設定と幾分かの台詞の違いはあるが、台詞も話しの筋もほぼ同じ。

 洗面器から妄想と想像が展開される中、何処かの誰かの撃つ銃声が響く。銃声はするが、怪我人もなく、弾丸もなく、通報もされないから、大丈夫というボーイッシュな女子高生(武藤杏奈さん)と男勝りの老女(年代果林さん)と、アニメ声の声優志望の女子高生(髙野夏美さん)とおっとりした老婦人(木村麻美さん)、銃声が引金になって、仲の良い二人が言い争いを始めるも、それは、自分を置いて、ボーイッシュな女子高生と男勝りの老女の自分の世界を持っている友達が自分の人生を進んで行ってしまい取り残される事への不安と恐れと寂しさゆえというひとつの話が2つの話しとして描かれている。
 それは、きっと敢えてそういう構成なっているのだろう。

 このふたつでひとつの話もまた、ふたりの女性の人生のスタートを切る話であり、置いていかれるのではと不安を感じ、相手とそれまで隠して来た自分の思いの全てをさらけ出すことで、改めて新しい友達関係のスタートを切るという2つの意味があったのではないだろうか。

 そして、最後のイプセンの戯曲『人形の家』の小鳥のように夫に愛されていたノラが、自分の秘密を知って豹変し、事なきを得ると知って更に態度が変わった夫に、「1人の人間」として自分を見ていないことに絶望し、夫の人形として生きる事を拒否し、一人の女、一人の人間としての自分、自己に目覚めたノラが、一人の人間として自分の足でしっかりと歩き、生きてゆく事を選び、夫の制止を振り切り、夫と3人の子供を残して家を出る場面を公園で練習する二人の(劇団?)女優(青井そめさん)(谷岡由扶子さん)の話も、『人形の家』のノラが自己の自立に目覚めたノラの人生の再スタートを描いている。

 この4本に共通している事、それは自分の人生のスタートを切るという事。
 そこで、この『スターターピストル!!』と言うタイトルの意味と、物語に描かれた銃声の意味に思い当たった。

 これは、私の深読みに過ぎるかも知れないが、感じた事をそのまま書くと、スターターピストルとは、運動会やマラソン大会などのスタートを告げる時に撃つピストルのこと。

 描かれた話は全て人生のスタート或いは再スタートを切る事を描いていて、芝居の中に出て来る銃声は、そのまま8人の女性たちの人生のスタート或いは再スタートを告げるスターターピストルだから、タイトルが『スターターピストル』で、近代古典の中で、なぜ『かもめ』と『人形の家』かと言えば、女性が自ら苦しみ踠き(もがき)ながら自己と自立に目覚め、人生のスタートを切る事を選び取り、歩み始める物語だったからではなかったのか。

 そして、深読みをもうひとつ。

 舞台の中盤で、8人の女性が登場して言った、ロシアの女性宇宙飛行士テレシコワの有名な『私はカモメ』という言葉は、70時間あまりの宇宙飛行中に、恐怖心で方向感覚を失いパニック状態になり、交信合図である「チャイカ」を繰り返し、地上の管制室を困らせたとも伝えられていること、「チャイカ」は、カモメのことで、テレシコワ自身を表す個人識別コードだった為、無重力状態のために、一種の宇宙酔いの状態になることがありパニックとなったテレシコワが「私はカモメ」を繰り返したという逸話になっていることを語る場面は、その後に続く、『かもめ』の場面を下敷きにした話への橋渡しと、世界初の女性飛行士として女性の生き方、職業の門戸を開きスタートを切った女性の苦しみと恐れ、象徴として、その後の彼女はどんな人生の再スタートを切ったのかという問いかけにも似た思いがこもっていたのではなかろうか。

 これは、余りにも深読みにすぎるかも知れないが、私にはそんな風に感じた。
 8人の女性が鳴らしたスターターピストルは、彼女たちをどんな人生へと誘ってゆくのだろうか?

 それは、翻って自分にも向けられる問でもある。

 そんな様々な思いと感情が交錯し、交差し、螺旋のように重なり合って、観てからずっと自分の中で巡り続けている。

 そして、答えはまだ出ていないし、この舞台自体を把握し切れているとも言い難いが、これがあの日、あの時観て、感じて、考えたままの全てであり、そういう事を深く考えるきっかけを与えてくれた舞台だった。

文:麻美 雪


麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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