『サンライズ・サンライズon Beach』のコミカルな短編芝居から一転、薄暗く落とした照明に浮かび上がるように表れたのは、白い台と台を前に佇む男(中川朝子さん)、此処はどうやらBARのようなも見える店らしい場所。
店の扉を静かに開け、薄闇に滲むように現れたのは、首元を隠すレースのアスコットタイふうのスカーフまで、全身黒ずくめのもう独りの男(朝霞ルイさん)。
交わされる会話から、2人は以前からよく知っている間柄のようだ。客と店主というには些か親密なそれでいて、互いの名前を知らない関係。
店を訪れた男は、店主から買い付ける何かがないと、どうやらその命を、その体を長らえるのは難しい体質らしい。
夏でも首筋を隠し、その何かがないと生き長らえるのが難しく、しかも一時期長く共に過ごした女性がいるらしいが、今は居ないという。
設定を探るのは、2人の会話と視線の動き、小さな動きのひとつひとつと、この場には生身が存在せず2人の会話によってのみその存在を知る事が出来ない女性から推察するしかない。
察するに、店に来た男はヴァンパイアで、店主が男に渡すのは、その命を長らえさせる(女性)血なのではないだろうか。
中川朝子さんの店主が、1年この店に来ずに、どうやってそれを調達したのかと執拗にルイさんの男に問い続けたのは、もし、此処で血を購うのでなければ、何処かで人の首筋から血を得るしかなく、もし、不用意にそのような事をすれば、男がヴァンパイアであることが知れ、世界に息を潜めて暮らしているヴァンパイアにも危害が及ぶ事を恐れたからなのではなかったか。
店主から問われるまま、ぽつりぽつりと語られる男が、答えた居なくなった女性が長い黒髪だったという特徴が、ふと、店主が女性の事に拘って聞いた事と重ねた時、もしかしたら、店主が身を変えたその女性そのもの、若しくはその女性が血を吸われたことでヴァンパイアへと転生した姿で、その女性の記憶を宿しているか、それともその女性の兄弟だったのではないかと、様々なイメージが頭の中を目まぐるしく駆け巡る。
『サンライズ・サンライズon Beach』とは、全く違うシリアスな短編芝居。
この芝居のルイさんが、幻想芸術集団 Les Miroirsのルイさんのイメージに近い。
この短編と第2部の最後の短編芝居の『Aurora~1year after』の中川朝子さんと朝霞ルイさんの声が、胸の奥にグーッと深く染み込む大人の男のいい声で、聴き惚れた。
この『Dawn Blood ~Mirage in Red ~』と『Aurora~1year after』とでは、いい声なのだけれど、そのいい声の質感や色彩が微妙に違う。
『Aurora~1year after』の時の声のイメージについては、『Aurora~1year after』の時に触れますが、この『Dawn Blood ~Mirage in Red ~』の時の声のは、中川朝子さんが、真紅の炎の色を仄かに抱いた深い夜の闇の蒼、朝霞ルイさんの声が、孤高な孤独の憂いを纏った儚い耽美の紫を宿した深い蒼。
質感でいうと無機質な都会の奥深い、夜の闇に漂うしっとりとした天鵞絨のような夜気という感じ。
その質感と色彩の声で語られる言葉のひとつひとつが、躰の中に染み通って行き、なんとも言えない刹那で切ない気持ちが広がって行った。
帰宅して、みたセットリストにこの短編芝居のタイトルが『Dawn Blood ~Mirage in Red ~』だと知りふと思った。『Dawn Blood ~Mirage in Red ~』、鏡の中の紅、鏡の中に映し出される紅い血、朝と夜、朝と夜の狭間で生きるヴァンパイア、店主とヴァンパイア、朝が在るから存在できる夜、夜が在るから存在できる朝、店主とヴァンパイアも然り。
双方が居て成り立つ関係。互いが存在する為に互いが必要であり、存在する。どちらかが書けることは己の死を意味するという事だろうか。
鏡の中の紅=血は、2人の男を映す合わせ鏡。互いの姿を映し合う。互いが互いの中に自分を見る。相手を通して己を見る。そんな思いも込められているのは、深読みに過ぎるだろうか。
そんな切なさを吹っ切るように、唄へと移り、中川朝子さんのキレッキレッで、クールな色気を纏ったダンスソロ、朝霞ルイさんが歌う後ろで、恰好良く踊る中川朝子さんのコラボレーションに、会場は盛り上がる中第一部が終わり、休憩へと入る。
そして、『Le Matin‐ル・マタン‐vol.2』の第二部へと続くのですが、続きはまた明日。
→『Le Matin‐ル・マタン‐vol.2』③へ続く。
文:麻美 雪
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