仄暗さの中に浮かび上がった真紅の玉座とも見える一脚の椅子。その上に立つ、一人の女(中川朝子さん)。
真紅の衣装を身に纏ったその人は、クマリとしての連れてこられた少女の前に現れる。
そう、この人が少女をクマリにと選んだのだ。
108の牛の首を観る事に怯える少女に、半分の牛の首を見つめ続けたその事が、クマリたる資格を有していると懇々と時に厳しく説き続けるその女は、自らが身に纏っていた真紅の一枚の布を外し、少女の体に巻き付けてゆく。
それは、恰も女から少女へとクマリが引継がれた瞬間のようにも見えた。もしかしたら、この女もかつてはクマリ若しくはクマリ候補として教育を受けた少女だったのではないかと感じた。
初潮を迎え、亡き者の声が聴こえなくなったのか、何らかの事態に見舞われ亡き者の声が聴こえなくなり、クマリに慣れなかったのか、候補としてクマリハウスに来たものの亡き者の声が聴こえずクマリになれなかったのかも知れない。
その事に、女自身が苦しみを抱えていたのではないか。だからこそ、亡き者の声が聴こえ、クマリとしての条件を満たし、禁止行為を全う出来る少女にクマリという存在を引継がせ、クマリを残そうとしたのではなかったのか。
話の中盤で、この人は舞台からもクマリの前からも姿を消し、時が流れ、次に10代の少女へと成長したクマリの前に現れた一人の女(中川朝子さん)は、クマリ存続の必要を認めるか否かの判断を下す為に遣わされた、政府の調査官である。
クマリである少女に様々な質問を投げかけても、少女からは、クマリとしての教えを受けたままの模範的な受け答えしか返って来ないことに苛立ち、時に、クマリがかえす言葉が彼女の痛い所を突き、その事が少しずつクマリの置かれた立場や社会や両親から隔絶され、クマリの世界しか知らない少女への思いに微妙な変化を与える。
調査官の女の『国民の大半はクマリを必要としていない』『クマリの力を信じていない』という言葉に、初めて心が揺らぎ、涙が頬を伝い落ちてゆくクマリである少女を見て、頭からクマリの存在を不要だと言い切る事が出来なくなっていた、この調査官の女の心に兆したものはなんだったのかと、今もまだ考えあぐねている。
調査官の女は、クマリという存在が現在のネパールで、国民にどう思われているか、社会や世間の現実をクマリに突き付け、クマリに社会や現実を直視させ、自らの存在とその存在を意識させた上で、少女がクマリで居ることを選ぶのか拒否するのかを考えさせる為に表れた存在のようにも思った。
調査官の女に突きつけられた国民の声に、初めて、模範的なクマリの仮面が砕け、混乱し、一人の少女としての感情と顔が現れた時、クマリは出血し、その瞬間クマリの任を解かれ、クマリハウスを追われ、流れ流れて、ネパールの別の土地へと流れて物乞いになり、荒んだ生活を送る彼女の前に、かつて、自分もネパールの他の土地のクマリであったと名乗る老女(中川朝子さん)が現れる。
自らをかつては、力のあるクマリであり、自分の力で国は回っていたような口振りで、いくつになっても初潮がなかったのに、若いクマリをと言うことで、初潮も出血もしていないのにクマリを追われたことを怨み、恨みの念で自分をクマリから追い落とした者達に災いを起こしたと嘯く言う老女もまた、クマリという生き神信仰とその制度によって、運命を狂わされたかつては少女だった。
自分が本物のクマリで、少女は本物のクマリではないなど、かつてクマリであった少女を弾劾する様な言動をする。
老女とのやり取りで、老女を含め、少女は自分の前に現れた3人の女が、自分に試練を与え、考えさせ、乗り越えさせるために神が姿を変えて現れたのだと言う事を悟る。
中川朝子さんの一人三役は、その声音、その仕草、表情、動きのひとつひとつが、まったく違うそれぞれの女になっていた。
クマリの前に現れた3人の女が、姿を変えた神様だとすると、3人が節目節目で、少女の前に現れる意味が、ストンと腑に落ちる。
中川朝子さんの演じた3人の女は、少女が、自らの『選ばれた運命』を、自ら考え、踠き、苦しだ果てに、自らが『転換する宿命』へと、変え、退任した後も、クマリとしての矜持を胸に秘め、かつてクマリだった者として生きる事を選ぶ為に遣わされた存在のように思えてならなかった。
クマリとは何なのかという事を、深く考えされされ、生きるということ、女性だけでなく、この世に生きとし生けるもの全ての人が、誰でも直面するであろう、生きるとは、自分であるという事とは、運命と宿命、何を選び、何を選ばないのかそんな事、そして、どんな状況や環境にあったとしても、選ばれ、与えられた運命ではなく、それらをも転換し、自らが選び取り、受け容れた宿命へと変えられるのだと言う事をも考えさせられた。
文:麻美 雪
0コメント