先週の土曜日、芸術集団れんこんきすたの『かつて、女神だった私へ』を観た後、いつの間にか降り出した雨の中、駒込の妙義神社へ湯川美波さんの『親子で聴く古事記』を聴きに向った。
両国から駒込に移動している間に、いつの間にか土砂降りの雨。
雨が降り出す前のお昼頃は、青空バザーも開催されていたらしく、降らなければバザーや夜店も覗けるかなと思ったのですが、生憎の雨で見られなかったのがちょっぴり残念でした。
湯川美波さんとは、篠原志奈さんや冨永裕司さんと共に出演されていたDangerous Boxの『 綾艶華楼奇譚』を観たのがきっかけで、知り合い、TwitterやFacebookでフォローして頂いていて、『妙義神社で古事記の朗読をするので、応援に来てくれると嬉しいです』というメッセージを頂いて、お会いしてお話したことが無かったので、ご挨拶方々伺うことにしました。
両国から駒込は近くてちょうど良く、古事記も舞台で観た、美波さんの芝居や声もとても印象に残っていたのと、神社で古事記というぴったりの場所で古事記の朗読が聴ける機会も滅多にない事なので、胸を踊らせて妙義神社へと足を踏み入れた。
朗読は15分ほど、お菓子(お菓子は2種類あってどちらか好きな方を選べます。私は米粉のシフォンケーキを頂き、とても美味しかったです。)付き、お賽銭も込で1500円で聴ける『古事記』の朗読は、お財布にも優しく破格。
雨の音がしとしとと音楽のように静かに漂い、社殿の中に緩やかに流れ込む風と扇風機の柔らかな風を感じながら待つこと暫し、全身白タイツに臙脂色のジャケットの『不思議の国のアリス』の白ウサギを彷彿とさせるウラダイコク(江原しおりさん)と元パティシエでらしたという若く爽やかな妙義神社の宮司さんによる、神社とお寺、宮司と神官の違いや妙義神社の事などの楽しくわかり易いお話しがあった後、いよいよ始まった湯川美波さんの古事記の朗読。
この回朗読したのは、『国生み』の話。
私は18時15分の回を聴いたのですが、こちらは時間帯もあったのか大人ばかりで、私のようにふらっと1人で聴きに来ている方も多かった。
そんな回に、この『国生み』の話はぴったり。『国生み』は、一言で言うと日本の国土創世譚を伝える神話で、『古事記』でお馴染みのイザナギノミコトとイザナミノミコト、二柱(ふたはしら)の神が天の橋にたち矛で混沌をかき混ぜ島を創り、その後イザナギノミコトとイザナミノミコトで島を産む話。
この、イザナギとイザナミが己の体の欠けた部分と欠けた部分を交接する事で島を産むのだが、この描写はよくよく聴くと何とも色っぽい場面である。
『国生み』は、キリスト教で言うと『天地創造』ではないかと思う。とすれば、イザナギとイザナミは、アダムとイブとも言えるのではないだろうか。
『国生み』は、実に人間臭い話でもある、イザナギとイザナミの結婚、夫婦の営み、夫婦喧嘩、出産と人間の営みがそのまま映されたような場面がギュッとつまっている。
その『国生み』を『古事記』の現文とよりわかり易く、尚且つ『古事記』の持っている風合いを崩さない湯川美波さんの現代文を融合させた朗読は、その七色に変わる朗々とした声の響きと言葉のひとつひとつが粒だった聴き取りやすい朗読で、悠久の時の中に紛れ込み、目の前に生まれたばかりの国と島々が見えるようだった。
幼い頃、母によく『因幡の白兎』の話しを読み聞かせてもらっていたことを懐かしく思い出しもした。
私にとって、『古事記』は、いくつかの話を母に読み聞かせて貰っていたり、絵本や児童書でも読んでいて身近なものであった。
最近は、読み聞かせや絵本になっている物も少なっている様な気がしていて残念だっただけに、こういう場所でこういう風に朗読をして聴かせるのはとても素敵だなと思う。
登場人物ごとに別人のように変わる美波さんの七色の声と、朗々とした響きの声が聴いていてとても心地好く、久しぶり『古事記』を読み返したくなった素敵な一夜でした。
文:麻美 雪
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