RAFT企画:『紙風船(再演)』

 2019.9.4㈬ PM19:30 東中野RAFT 

 日が落ちた中野坂上の駅から、蒼い空の下を東中野RAFT へと劇団月とスカレッタ主宰の小西優司さんが主宰を務めるスカレッティーナ演劇研究所が共催するRAFT企画~シリーズ岸田國士を愉しむFile2~『紙風船(再演)』を観に足を運んだ。

 上演前に、この舞台の曲も作った森加奈恵さんの15分程のミニライブがあり、舞台は森加奈恵さんの歌から始まる。

 舞台左には新婚1年の夫婦、右には、初老に差し掛かった夫を亡くしたと思われる妻が座る真ん中には、過去と現在との境界のように楕円形に繋がれたプラスチックのレールとその上に置かれたプラスチックの小さな電車のおもちゃとレールの輪の中にぽつんと置かれた紙風船と目覚まし時計がある。
 結婚一年目を迎えた若い夫婦の倦怠期の、妻(華奈さん)と夫(高村 賢さん)の微妙なすれ違いを、数十年後の姿(出田 君江さん)との対比と時に若き日の妻と台詞が重なり合い、時に若き日の夫と言葉が重なり合い、時に数十年後のつまが結婚1年目の倦怠期と今、夫との生活を振り返り夫に思いを馳せぽつりと零す独白と新婚1年目の倦怠期の夫婦のとある日曜日のやり取りと一コマから描いた話しが紡がれて行く。

 詳しい感想等は、今年3月の演劇集団アクト青山の解散公演の『紙風船』のブログをお読み頂くとして此処では、今回改めて感じた事のみ綴ります。

 大筋、抱いた感想は3月の初演を観た時と同じで大きく変わることはないけれど、半年の間に私に何があった訳でもないし、何かが大きく変わった訳でもないのに、伝わって来るのがふんわりとした新婚1年目の夫婦の可愛らしさと愛らしい倦怠と最後にほろりと漂う切なさを強く感じた。

 何故なのだろうとつらつら考えるに、前回より高村賢さんの夫が、可愛らしくなっているからだと気づく。可愛らしいというか可愛げが増していて、前回の『ああ、其処だよ。そういう所が女心を解ってないから、妻が切なくなるんじゃないの』という部分が緩和され、相変わらず解っちゃいないんだけど、何か憎めない、結句、しょうがない人だなと笑って許し、緩やかに諦観してしまう夫になっていて、こういう旦那さんを何だかんだ言いながら妻は、最後まで添い遂げてしまうだろうなという可愛げのある夫で好きだった。

 華奈さんの妻も、そんな夫に緩やかな諦めと、ほんのりした寂しさと切なさを抱きつつも、時折見せる夫の可愛げに、何だかんだ言いながらも緩やかに諦めながら許し、ふんわりとした愛情を胸の片隅に灯して添い遂げてしまうのだろう愛らしい妻で良いなと思った。

 今回一つ気づいたのは、既に夫は亡く、一人夫との日々を回想する出田君江さんの妻が、飛行機の音にハッとして空を見上げる場面に戦争の気配を感じ、もしかしたら夫は戦争で亡くなったのではということ。だからこそ、今の妻が夫を思い出す時の表情が、若い時の柔らかで切ない緩やかな諦観ではなく、当時感じていた仄かなズレや苛立ちや寂しさではなく、それさえも包み込むように越えた、亡き夫への懐かしさを内包した愛をふうわりと感じる表情だったのではないかと。

 恋愛時代からは形を変え移ろってゆく愛。けれど、それは、愛が消えたわけでも、愛が薄れたわけでもなく、愛から情へ、愛から愛情へ変わって行っただけ。

 夫婦としての愛情。恋愛時代のような、燃えるような、真紅の薔薇色の愛ではなく、愛に情が結びついた愛情は、きっと何より強く、それは永遠に消えることの無い紅を宿した薄紅色に色づく薔薇色の愛情。愛に情が結びついた人生が終わるまで共に生きた夫婦にしか育むことの出来ない愛情は、きっと愛より強い。

 そこまでの紆余曲折、山越え谷越えをも含めても、夫婦って良いなと思い、結婚したくなる舞台でした。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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