劇譚*華羽織:『ヒサメゴト』

 2019.1.25㈮ PM12:00 阿佐ヶ谷TheaterShine

 キンと冷えた風、真っ青な空の下、高山タツヤさんの主演される舞台、劇譚*華羽織『ヒサメゴト』を観る為、阿佐ヶ谷Theater Shineに足を運んだ。

 最前列左通路側の席に着くと、目の前には桜の花が滲むように描かれた壁、左右の上方には桜越しに見える格子の小さな窓がふたつ。その前に、数段高くなった小上がりのような舞台がある。上空から赤と緑の光が射している。

 そこで描かれるのは、日々のしがらみから逃れて、東京での仕事と生活に疲弊した雨宮恵一(高山タツヤさん)が幼少時代の期間を過ごした田舎へと戻り、幼い日、雨の中、誰かと交わした約束をした朧気な記憶を手繰り寄せるところから始まる物語。

 職場での人間関係や仕事で心身を苛まれ、自死する事を考えるまでに追い詰められた恵一が、一時期幼い日を過ごした田舎へと戻り、幼友達と会ったことから、忘れていたある雨の日を思い出す。

 両親を事故で亡くし、雨の中で泣いていた幼い日、一人の少女と出会う。少女はそっと恵一のそばで恵一の気持ちの落ち着くまでそばにいてくれた。雨の中、少女と交わした約束。大切な約束だったはずなのに、思い出せない約束、何故自分がこんなにも此処へ帰りたいと思ったのかも思い出せないまま、恵一は田舎で過ごす。

 再会した少女が口にした『約束』、逃げ出したい全てが上手くいかない東京での現実、懐かしい場所たちと幼なじみ、その幼なじみも実は人ではなく、異界の者であり、少女もまた人ではなかった。生と死の狭間を生きる妖たちとの過去を、今の恵一は受け止めて前へ進み生きていくのか、それとも生きて逝くのかを選択するのか問いかけてくる物語。

 切なくて痛くて温かい舞台だった。この舞台を観て今年の初めて泣いた。それは、観ながら主人公の心の痛みは、子供の頃のあの日の私の痛みととても似ていて、これは私だと思った。

 9歳~12歳まで、学校に居場所がなかった。酷い虐めに遭い朝が来ない事を願い、生きている事が辛くて、毎日生きていたくないと思う日々を過ごしたあの頃を ヒサメゴト を観て思い出した。私が生きる事を選んだのは、恩師と母のおかげと、「書く」という唯一の感情の発露が有ったから。このまま幸せにならずに消えるのが寂しかったから。

 15歳で母を亡くし、認知症の父と暮らしていた時のしんどさ含め、幾度も辛い時があったけれど、小学生の時のあの苦しみに比べたら、支えてくれる友人、知人がいて、幾度も波を乗り越えてその都度、今を幸せと思い、生きて今此処にいる事の幸せを感じるから、ヒサメゴト を観て切なくはあっても、生きていて良かった、今が一番幸せだと思える今が在る。恵一もそうであって欲しいと祈るように思った。

 高山タツヤさんの軆を通して、恵一の心の慟哭が聞こえ、絞り出すように迸り、解き放たられる感情の発露を胸が詰まるほど感じ、恵一にそう思える明日が来るように、生きて欲しいと願わずには居られなかった。

 恵一の選んだ答えは、前へ進み生きていくのか、それとも生きて逝く(死または妖たちの世界で生きる事を望むのか)どちらとも取れる。それは、見る人の今の心や上京でどう取るか別れる気がする。

 それでも私は、恵一にこの世に留まり前へ進み生きる事を選んで欲しいと強く願わずには居られなかった。私が見ていたのは、恵一の人生の長い道の先にある一筋の柔らかい希望のひかりの色だった。

 観ながら、自分の人生と照らし合わせ、重ね合わせ、時に胸が苦しくなる痛みを感じながらも、否、だからこそ観終わった後に、心に清しい風が吹き、心に温かく沁みる舞台だった。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

0コメント

  • 1000 / 1000