2018.11.24㈯ PM18:00 新宿 フリースペース無何有
世間は3連休の中日、いつにも増して異常な混み方をしている新宿駅を抜け、駅から3分ほどの所にある飲食店の入ったビルの3階にあるフリースペース無何有(むかう)へ、高山タツヤさんが出演される、名作シネマ語り『血と砂』を観に向かった。
狭い階段を三階まで上がり、扉を開けて中に入ると、20席ほどのパイプ椅子と正面にスクリーンがある、小さなスペース。
此処でこの夜上映されたのは、1922年、無声映画時代、一斉を風靡した世紀の二枚目ルドルフ・ヴァレンチノ主演の『血と砂』。
内容について語る前に、先ずは、名作シネマ語りについて説明すると、トーキー映画になる前の無声映画に、その場で声を充てて上演するというもの。
今回のルドルフ・ヴァレンチノ主演の『血と砂』は、内容をざっくりと説明すると、貧しい家に生まれ育ったのらりくらりと日を暮らしている青年が、友達と一緒に祭りの闘牛に参加したが、ひとりの友達が牛に突かれて絶命し、仇とばかりにその牛を仕留めた青年が、やがてスターマタドール(闘牛士)になり、純情可憐で気立ての優しい幼馴染みと結婚、2人の子供にも恵まれ、幸せな家庭と闘牛士としての成功を欲しいままにしていたところへ、裕福な女が青年に気を惹かれ、手練手管で篭絡し、やがて、二人の関係は、妻の知る所となり妻からの信頼を失い、世間からの賞賛は罵声に変わり、妻との仲を取り戻す為保養に行った先に、女が押しかけ妻に捨て台詞を残し、妻の目の前で青年を捨て去り、夫婦の仲が戻らぬうちに、闘牛の最中に牛の角にかかり、観に来ていた妻の腕の中で、女との事を詫び、妻への愛を口にして息絶える一方で、目の前で牛の角に貫かれるのを観、青年が亡くなった知らせを受けても、興味がないとばかりに冷たい態度を取る女に、毒婦とはこういう女の事だなと思っているうちに映画は終わると言った筋書き。
この『血と砂』を、げ劇譚*華羽織の高山タツヤさんと御歳70歳のベテラン女優大島安紀斗さんという、二人の役者さんがその場で声を充てて上演する名作シネマ語り『血と砂』。
無声映画といえば、弁士。その弁士を含めて、声優もたった二人で演じる。そう、まさに演じるアテレコ。
フィルムも古く、劣化の問題もあり中々無声映画を見られる事自体、テレビの名画劇場でもなければ見られず、テレビの名画劇場でも昨今は殆ど放送される事がない無声映画、しかもルドルフ・ヴァレンチノの映画を役者さん二人が目の前で声を充てての上演を観られる機械など滅多にないので、高山タツヤさんからご案内を頂いた時、直ぐに観に行く事を決めた。
子供の頃、夏休みになると月曜日から金曜日まで夜の9時40分から20分間、NHKで放送していた銀河テレビ小説がバスター・キートンやチャップリンの無声映画を放送していたのを見ていたので、無声映画は馴染みがあり、バスター・キートンやチャップリンを知り、好きになったのもこの頃(小学校4、5年生の頃)だった。
その流れと、私が中学生くらいの頃、土曜の昼間に外国の名作映画のワンシーンを、その週のテーマに沿って、編集して流している番組、確か『ザッツ・ハリウッド』という番組名だったかと思うが、それを見ていて、ヴァレンチノの映画も取り上げられていて、機会があったらスクリーンで観たいと思っていた。
何せ、無声映画時代随一の美男子として、名を馳せた人である。
時間になり、暗くなった場内、スクリーンに映し出されたのは、これまた、映画好きなら懐かしい、淀川長治さん。
この『血と砂』、亡くなられた淀川長治さんが総監修している物で、『日曜洋画劇場』の名物コーナーだった、淀川長治さんの名調子の映画解説から始まった。
ヴァレンチノは、無声映画の美男子だったが、声はその容貌からは程遠く、ガサガサの悪声で、歌も下手だったとか。無声映画からトーキー映画に移る時、声が悪かったり、訛りが酷かったりで、無声映画のスターたちが何人も映画界を去っていったのは、有名な話。チャップリンは、晩年にもハリウッド映画にも出演し、無声映画からトーキー映画移って活躍した数少ない無声映画のスターだったが。
内容は、この時代の無声映画のみならず、現代でもよくある、妖艶で奔放で、それ故に、こんな女に見込まれ、惚れられた男は必ず身の破滅に陥らせる“毒婦”と呼ばれる女に、案の定、良いように弄ばれて破滅して行く、『まったく、男ってしょうがないわね』、『この女も質の悪い、厭な女ね』という感想に帰結するお話なのだけれど、お二人の声がピタリと嵌っていて何とも贅沢。
高山タツヤさんの出演する舞台を何度も観に行っていて、芝居に加えて密かにその甘く良い声のファンでもあったので、美男子のヴァレンチノの声は、ヴァレンチノのキザで甘く囁く場面にもよく合っていた。
大島安紀斗さんも、ナレーション、妻、青年を篭絡する女、どれもそれぞれにピタリと合っていて素敵だった。とくに篭絡する女の声の色っぽさは何とも言えなかった。
観たかったヴァレンチノの映画を好きな役者さんの声で、目の前で充てられ、演じられるのを観られた幸せで楽しい時間だった。
文:麻美 雪
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