演劇集団アクト青山:テアスタ(夏)『輸血』


 連日の猛暑が束の間和らいだ、昨日のお昼に、千歳烏山にあるアクト青山のアトリエで、先日、観劇レポートを書かせて頂いた演劇集団アクト青山テアスタ(夏)『輸血』を観て来ました。

 ちょうど、一週間前の土曜日の夜、『輸血』の通し稽古を拝見して、観劇レポートを書いたその一週間後の今度はお昼に、通し稽古の時と同じ役者さん、同じ配役で観たテアスタ(夏)『輸血』の公演。

 今回、チームA型とチームB型、一部役者と配役を変えて2つのチームで上演される、坂口安吾が生涯でたった二本書いた芝居のひとつ、『輸血』を演劇集団アクト青山主宰の小西優司さんの演出で、織り成す家族の話。
 A型の私が観たのは、チームB型。

 内容や通し稽古を観て感じた感想や思い、感じた事は、観劇レポートで書かせて頂いたので、詳しくはそちらをご覧下さい。

 今の私には、これ以上の文章は書けないと言い切れる程、一筆入魂で書いたレポートなので、内容等については、観劇レポートをご覧頂くとして、昨日、一人の観客として感じた事のみここでは書きます。

 通し稽古から一週間。通し稽古の時も初めは、ライターとして、お仕事の目線で出来得る限り隅々まで観ようとしていたのですが、気づけば稽古ではなく一観客として舞台をみている感覚に陥り見入り、魅入ってしまい、思わず拍手をしそうになりながら、通し稽古で拍手をしていいのかと迷い、拍手を踏み止まってしまったのですが、今回は観終わった後、心置き無く思いっ切り拍手していまいました。

 それ程に、一週間前にも役者だけでなく、観ている側も濃密さ、深さ、集中度の高さを感じたのですが、一週間後の昨日、濃密さ、深さ、集中度が更に濃くなり、強まっていて、面白さが増していた。

 通し稽古の時には、聞き落とし、見落としていた言葉や動き、表情を聞き取り、観て、気づいたりと新たな発見があって、それが愉しく、面白かった。

 『輸血』は、1度より2度、2度より3度観ると、観る度にそんな新たな発見と面白さに気づく愉しみを味わえる芝居だと思う。
 そして、通し稽古の時にも感じ、昨日改めて感じたもうひとつの事。

 役者さんたちの発する言葉の抑揚やリズム、テンポが、安吾の文章を読んでいる時に感じる抑揚やリズム、テンポそのままであると言うこと、それは、そのまま、安吾の生きた時代と安吾の作品の舞台になった、昭和初期の、戦前戦後の日本人が話していたであろう、日本語の抑揚やリズム、テンポ、言い回しそのものになっていると感じた。

 そして、それは、聴いているのがとても心地の良い抑揚やリズム、テンポであること。
 それに伴いもうひとつ、感じたのは、わたしより、若い役者さんが多いと思われるこの舞台、殊に、姉役の山辺恵さん、妹訳のよしざわちかさん、木田役の倉島聡さん、弟役の桃木正尚さん、大工役の佐古達哉さん、お染役の寺井美聡さんが、昭和の人の佇まい出会ったこと、昭和のこの作品の舞台になった昭和の人の顔、表情をしていたということ。

 それ故に、するりと『輸血』の世界に入って行けた。

 時間があったら、チームA型も観たかった。

 1度観ると、クセになる舞台であり、観る程に、家族とは?愛とは?血の繋がりとは?血は水よりも濃いのか?血はあらそえないのか?

 そんな思いが去来し、観るごとに考え、観る度に、先日亡くなった父の事をふと考える。

 亡くなった今だからこそ、冷静に父という一人の人間を見つめ、見えなかった事、気づけなかった事があり、生きていた時には許せなかった事、軋轢、血の繋がりがあるが故の葛藤と愛憎、それすらも、俯瞰し、客観的に見えるようになって来つつあるのかも知れない。

 そんな事をも含めて、七夕の昨日一日、『輸血』の事を考えていたその後ろ側で、一人の娘としての感情や思いに目まぐるしく思いを致した舞台でもあった。

 今日が千穐楽。

 観られて良かった。

photo/文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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