初演を観た時からずっと思っていた事がある。
なぜ、リチャード三世は、あれ程までに残虐非道な国王として弾劾され、流布され続けているのか?
なぜ、母のヨーク公夫人は、自分のお腹を痛めて産んだ我が子リチャード三世を憎悪し、忌み嫌い、生まれ落ちたその瞬間から一度も愛する事がなかったのか?
本当に、リチャード三世はあんなに残虐非道な人間だったのか?
この3点に対する疑問が、初演を観てから3年間ずっと心の片隅に残っていた。
10人の弾劾者と1人の理解者であろとした者、時の為政者、権力者により実像を歪められ、残虐非道の国王として弾劾され、流布され続ける1人の国王と、近年の研究で歪められた残虐非道の国王とは異なる実像を持つのではないかとされる本当の姿の国王、13人の人間によって描かれる“リチャード三世”。
最初にグロスター公リチャードの罪を弾劾し、リチャードに殺されるのは、西藤東生さんのクラレンス公ジョージ。
エドワード4世と外交政策をめぐる対立した舅のウォリック伯に従い、兄エドワード4世を討伐したが、弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)の説得を受け入れ、3兄弟結束してウォリック伯を破って敗死させ、王位に復権した兄に許されたてからは、兄に二心無く仕え、信じ易くお人好し。それがリチャードの甘言と奸計により、兄エドワードに謀反の企てありとしてリチャードに葡萄酒の樽に頭を押し込まれ踠き死んで行く。
亡霊となったジョージの目に宿る憎しみの焔、体から発するリチャードへの黒い憤りと烈しい怨みの表情が鬼気迫り、2時間40分の間、目の端に映り感じていた。
邑上笙太郎さんのエドワード四世は、女好きでリチャードの甘言と陰謀術数に手もなく騙される愚かしさもあるが、それはまた、人の言葉を疑う事を知らぬ人の良さとも言え、ウォリック伯に従い、自分を国王の座から追い落とした弟ジョージを1度は心から許す寛容さもあり、何処か憎めないエドワード四世だった。
小松崎めぐみさんのエドワード四世の妃エリザベス。欲望に忠実な故に、マーガレットには低く見られ、エドワードのような男にはチヤホヤされるが、バッキンガム公やヘイスティングス卿のような男には、疎ましく、鼻持ちならない女と思われるが、エドワード同様何処か憎めない可愛さのようなものがある。
エドワードは、自分の欲望に忠実なエリザベスに何処か自分と似た所があり、それが可愛さとも感じてエドワードなりにエリザベスを愛し、エリザベスもまたその事を感じて、エリザベスなりにエドワードを愛していたように感じた。
笠倉祥文さんのバッキンガム公もまた、自らの欲望と野心に忠実だったからこそ、その部分を鏡に映してみるような王妃エリザベスに近親憎悪に近いものを感じ、エリザベスを疎み蔑み敵愾心を抱いたのではなかったか。権力と富と地位を得る為に、与しやすいと侮ったリチャードに裏切られ、殺された時、その憎悪は火のような怨みへと変わり、その憎悪と怨みが目の奥に燃え、全身から噴き出し迫力があった。
陸奥鶏太さんのヘイスティングス卿は、ただひたすらにエドワード四世へ忠誠を胸に秘め、奸計と権謀術数渦巻く人々の中で、唯一エドワードに忠実を持って仕えた家臣であり、親友。その愚直なまでの真面目さ故の視野の狭さ、狭量さから、エリザベスを目の敵にはするが、殺される謂れはない。それなのにリチャードが疎ましく思ったのは、エドワードを思い、耳の痛い事もしっかりというその強さと愚直なまでの真面目さに怖さを感じたからではなかったろうか。
高橋仙恵さんのマーガレットは、エドワード、ジョージ、リチャードの三兄弟によって夫ヘンリー六世と息子のエドワード王太子を殺され、自らも王妃の座を奪われロンドン塔に幽閉された怨みと愛する者の命を奪われたマグマのような憎しみと悲しみの果ての烈しい怒りが怨念となってその身から、声から噴き出すように溢れ静かで暗く沸々と煮え滾る凄みを感じた。
文:麻美 雪
→②へ続く。
0コメント