末原拓馬ひとり芝居:『カスタネット』

 街には雪が残り、氷点下の気温が続き底冷えのする先週の土曜日、友達との徹夜のカラオケから美容室に行ったそのままの足で向かったのは、八幡山ワーサルシアターで上演していた末原拓馬ひとり芝居『カスタネット』。

 寒空の下、受付開場までの40分を外で待っていたのが響いたのか、軆の芯まで冷え切り、思えばこの辺りから体調を崩していたらしい軆を劇場の中へと運んだ。
 目の前には、段ボールで作った花や涙の雫のようなものが天井から幾つも釣り下がっている、『カスタネット』の世界が広がっていた。

 『想像して下さい』

 末原拓馬さんの芝居が始まる時のいつもの一言が聞こえ、2年前の2月、東中野のバニラ・スタジオでの末原拓馬さんの「ひとりじゃできねぇもん ~Weapon 兵器~ 」の時に観た【独り芝居 カスタネット】を思い出す。

 この物語、『カスタネット』は、私にとっもとても大切で特別な物語なので、思い入れも一入(ひとしお)な芝居。

 それは、『カスタネット』を観た時、私の中に、ふわっと全く違う物語が、映像と言葉と色彩をと共に降って来て、観終わってすぐ一気に短編の物語が書き上げ、それがその1ヶ月後、ライブに出演して自身の作品を朗読した、『蒼い海の記憶』という作品になったからだ。

 一睡もしていない状態で観たからか、思い入れがあるからか、『想像して下さい』という拓馬さんの声がいつもと違う。
 声と言葉に力がなく、元気がないように感じた。
 一睡もしていなかった為、いつもより感覚や神経が研ぎ澄まされたような、些か過敏にすらなっている中で観た『カスタネット』は、カスタネットが登場する中盤まで、正体不明の違和感があった。

 以下は、2年前に書いた私の『カスタネット』の観劇ブログに加筆修正したもの。

 花作りの国は武器作りの国と戦争をすることになった。しかし、花だけしかつくったことがない花作りの国に武器を作る術はなく、考えあぐねている王様に、花作りの国の牢に繋がれたドブロクは、上手く行ったら無罪放免する事を条件に、国民全員に壺を配り、その壺に悪い言葉、罵詈雑言、汚い言葉を吐かせた武器にすることを教える。

 今まで、美しい言葉、優しい言葉しか口にしことが無かった国民は、ドブロクの悪魔の囁きに惑わされ、悪い言葉、汚い言葉、怨みの言葉を吐き続けるようになる。それは、優しく穏やかな花作りの国の国民の心を醜く歪ませて行く。

 そんな中、ただ独り、両親を亡くし独りで暮らす幼い少女カスタネットだけは、毎日訪れて悪い言葉を壺に吐けと言うために訪れるドブロクに、毎日訪れて話せるだけで幸せと喜びを見い出して、壺にドブロクへの優しい言葉、美しい言葉だけを呟き続ける。
 知らず知らずのうちに、そんなカスタネットにドブロクはきっと、温かくて優しい思いが芽生え始めていたのだと思う。

 けれど、そのことに気づかないまま、戦争になり、悪い言葉を閉じ込められた壺を投げつけて辺りに飛び散ったのは、黒い竜巻のような風と色を失った世界、絶望と凄惨が入り交じった阿鼻叫喚の景色、それは、ドブロクの想像を超えたおぞましい景色を目の当たりにして、ドブロクはカスタネットの無垢で純粋な優しさとカスタネットの存在の大きさに気づく。

 真っ白だったゆえに黒いペンキで塗ったカスタネットの壺を投げつけて割れた時、カスタネットのドブロクへのやさしい思い、美しいことばが溢れ、色を失った世界は見たこともない美しい色に彩られ、戦争は止み、温かく優しい思いに花作りの国も武器作りの国もきれいな涙に包まれる。

 カスタネットはこの時には既に、悪い言葉を吐けと殴られて命を落としている。

 残酷と言ったらこれ程残酷な話はない。けれど、ただ残酷なだけではない。物語りの結末に行き着いた後に残るのは、残酷に始まった物語りが、幼い少女カスタネットの過酷で残酷な運命と日々の中でさえ損なわれることの無かった、無垢な心と純粋な美しい心から呟き続けられた言葉で、見たことのない切なくて、哀しいけれど美しく、温かく、優しい思いに満ちた世界。

 言葉には力があり魂が宿る。その事を改めて感じる独り芝居。日々の中で、私を含め人は醜い感情や悪い言葉が口をついて出たり、心の中に吐き出してしまうことがある。そんな時、ふっと、一呼吸して、柔らかな言葉と心に置き換えてみたならば、この世界から悲しい争いも、ぎすぎすした黒い苛立ちもなくなるのではないかと思う。

 花作りの国は武器作りの国と戦争をすることになった。しかし、花だけしかつくったことがない花作りの国に武器を作る術はなく、考えあぐねている王様に、花作りの国の牢に繋がれたドブロクは、上手く行ったら無罪放免する事を条件に、国民全員に壺を配り、その壺に悪い言葉、罵詈雑言、汚い言葉を吐かせた武器にすることを教える。

 今まで、美しい言葉、優しい言葉しか口にしことが無かった国民は、ドブロクの悪魔の囁きに惑わされ、悪い言葉、汚い言葉、怨みの言葉を吐き続けるようになる。それは、優しく穏やかな花作りの国の国民の心を醜く歪ませて行く。

 そんな中、ただ独り、両親を亡くし独りで暮らす幼い少女カスタネットだけは、毎日訪れて悪い言葉を壺に吐けと言うために訪れるドブロクに、毎日訪れて話せるだけで幸せと喜びを見い出して、壺にドブロクへの優しい言葉、美しい言葉だけを呟き続ける。
 知らず知らずのうちに、そんなカスタネットにドブロクはきっと、温かくて優しい思いが芽生え始めていたのだと思う。

 けれど、そのことに気づかないまま、戦争になり、悪い言葉を閉じ込められた壺を投げつけて辺りに飛び散ったのは、黒い竜巻のような風と色を失った世界、絶望と凄惨が入り交じった阿鼻叫喚の景色、それは、ドブロクの想像を超えたおぞましい景色を目の当たりにして、ドブロクはカスタネットの無垢で純粋な優しさとカスタネットの存在の大きさに気づく。

 真っ白だったゆえに黒いペンキで塗ったカスタネットの壺を投げつけて割れた時、カスタネットのドブロクへのやさしい思い、美しいことばが溢れ、色を失った世界は見たこともない美しい色に彩られ、戦争は止み、温かく優しい思いに花作りの国も武器作りの国もきれいな涙に包まれる。

 カスタネットはこの時には既に、悪い言葉を吐けと殴られて命を落としている。

 残酷と言ったらこれ程残酷な話はない。けれど、ただ残酷なだけではない。物語りの結末に行き着いた後に残るのは、残酷に始まった物語りが、幼い少女カスタネットの過酷で残酷な運命と日々の中でさえ損なわれることの無かった、無垢な心と純粋な美しい心から呟き続けられた言葉で、見たことのない切なくて、哀しいけれど美しく、温かく、優しい思いに満ちた世界。

 言葉には力があり魂が宿る。その事を改めて感じる独り芝居。日々の中で、私を含め人は醜い感情や悪い言葉が口をついて出たり、心の中に吐き出してしまうことがある。そんな時、ふっと、一呼吸して、柔らかな言葉と心に置き換えてみたならば、この世界から悲しい争いも、ぎすぎすした黒い苛立ちもなくなるのではないかと思う。

 この時の感覚も衝撃も、今でもまだ、鮮やかに記憶に残っている。
 
 拓馬さんにとっても、大事でずっと残る特別な物語にしたい物語である故に、今回、ピーターさんの父であり、上方舞吉村流四世家元、人間国宝にもなった吉村雄輝さんの直弟子の地唄舞の吉村流の吉村雄之輔さんに女形の形の指導を受けたり、新たな試みも入れていたのだけれど、それがまだ、この物語に融け込み切っていなかったのが違和感として、胸に蟠(わだかま)ったのかも知れない。
 
 そう思ったその時、カスタネットが登場した。

 登場したと言ってもひとり芝居、カスタネットも末原拓馬さんなのだが、カスタネットが喋り始めた途端、拓馬さんの声と言葉に力と熱が宿った。

 それまでが、嘘のように。まるで、カスタネットが拓馬さんの軆に入り、カスタネットそのものになったように。

 そこから、ガラッと空気も拓馬さんの表情も物語が放っていた色彩、質感、温度、音が変わり、私が衝撃を受け、大好きなあの日観た『カスタネット』になっていた。

 幼い少女カスタネットの過酷で残酷な運命と日々の中でさえ損なわれることの無かった、無垢な心と純粋な美しい心から呟き続けられた言葉と、カスタネットのドブロクへのやさしい思い、美しい言葉に胸が掴まれ、震えて、気づけば、涙が自然に止めどなく溢れ出し、最後まで涙が止まらなかった。
 そして、やはり思う。

 この物語が、カスタネットが愛おしくて、大好きで、永遠に遺って欲しいと。
 カスタネットに気持ちが掴まれて、帰りにワーサルシアターの階段と段差を踏み外しそうになり、足元が覚束無くなったほど心震え、魂震えた舞台だった。

 この物語は、バニラ・スタジオのような、小さな劇場でやって欲しい。あの空間だからこそ感じられる空気、質感、感動、熱
、温度があり、それこそが『カスタネット』に相応しいような気がするからだ。

 永遠に遺って欲しい、大切で愛おしい物語。

2年前の『カスタネット』のブログはコチラから。

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文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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