演劇ごはん:『彼女がお店を去る時に』

 薬局とヨーロッパのお洒落なフレームを扱う眼鏡店の間の細い道を入って、すぐの所にその店はある。

 熱い思いを持ち、オーガニックの野菜を育てている農家から直接届く新鮮な野菜と真っ当な食材を使ったお料理の楽しめるオーガニック・レストラン、南青山野菜基地。

 トントンと3段ほどの階段を下り、ドアを開けると、『いらっしゃいませ』と明るく歯切れの良い声が迎えてくれる。
 「こちらにどうぞ」とテキパキとカウンター席に案内する女性。

 その女性こそ、『彼女がお店を去る時に』の主人公、佐伯菜摘役の宮本京佳さん。
 カウンターの中で明るい声を響かせて、飄々と小気味よく働いているの様子の良い男性は、菜摘と一緒にこの店で働く、杉崎亮司役の柳田幸則さん。

 そう、既に『彼女がお店を去る時に』は、ここから始まっていると言える。
 通常の芝居と違うのは、上演中も写真を撮っていいこと。

 それは、それぞれの話に合わせたお料理が観客にも出され、話の中に出て来るお料理が食べられるので、そのお料理を遠慮なく写真に収めて行って下さいという嬉しいサービスもあるから。

 とは言え、上演中の役者さんたちを写真に収めている暇はない。

 なぜなら、観客もまた、このお店のお客様としてこの空間、物語の中に取り込まれ、巻き込まれ、惹き込まれて観ているうちに、写真を撮る事を忘れてしまうから。

 飲み物の注文を取ったり、お客さんの会話のざわめきが最高潮に達した瞬間、一瞬ふっと無になり静かになったその時を見澄ましたかのように、宮本京佳さんの佐伯菜摘が、今日のコース料理の説明を始め、使われている野菜や食材の事を話している途中で、ふふっと思い出し笑いをもらし、アミューズ(突き出し)の料理に纏わる1人の常連が初めてこの店に訪れた時の思い出を語り始める。

 カランカランとドアベルを鳴らして、入って来たのは、森野という一人の男。顔立ちは決して悪くないのに、何処か挙動が落ち着きがなく、緊張からなのかギクシャクしているその訳は、以前から思いを寄せている同僚の女性里美をこの店のランチに誘い、今日ここで告白をし、交際を申し込もうとしている為。

 森野の話を聞いて、何とか上手く行くように、心を込めた料理をだそうとする菜摘と、初めて失恋した時のトラウマから、告白して断られると気絶をするようになり、今日断られて相手の目の前で気絶したらと不安になる森野に、自分は時間を巻き戻す力があるから、その時は時間を巻き戻して、やり直すから心配ないと励ます杉崎。

 その告白の行方を見守る私たち、お店のお客。

 あらすじを要約するとこういうお話で、30分弱くらいの短いお芝居。

 コミカルなのだけれど、何だかちょっとキュンと胸に甘酸っぱい切なさが過ぎる。

 役者さんがとても自然に、お店の店員と訪れたお客さんとして、そこに居るので、観ているこちらも、偶々食事をしに入ったお店で、滅多に遭遇する事ではないけれど、もしかしたら、人生の中で1度ぐらいは奇跡的に遭遇してしまう事もあるかも知れないシチュエーションに、自然と「告白が上手くいくといいな」と思い祈りつつ、耳をそばだててしまうという状態になる。

 小濱晋さんの里美への思いが強すぎて、ほかの事や時々杉崎や菜摘の言葉が耳に入らず、先走り気味になるし、里美にあっさり断られて気絶してから何度も時間を巻き戻しては、告白しようとすると邪魔が入って、その度に気絶してしまうちょっと困った森野の芯にある人の良さや純粋な気持ちと繊細過ぎる心の持ち主ゆえにに、時に挙動が可笑しくなる森野は、どこか憎めず、可愛げのある男だなと思った。幸せになって欲しいと思わずにはいられない。

 てっきり店員かと思っていたら、店員ではなくただの常連で、忙しい時に自主的に手伝っているだけの柳田幸則さんの杉崎は、飄々と若干ちゃらんぽらんに見えるけれど、このお店と菜摘が好きなんだろうなと言うのを、一瞬の声音や表情、視線の動きで仄かに感じさせた。基本的にお人好しで、実は自分が好きな人の幸せを一番に考えられる男なのではないかと思う。

 途中、話を逸らすためにお客さんにアドリブで話しかけての杉野とお客さんのやり取りが、巻き戻す度に繰り返されるのも、傍で見るには楽しいハプニング。

 此処で、観客はある種の芝居の共犯者になり、話の中に取り込まれ、自分も芝居の一部、もしくは舞台装置のようなちょっと楽しい感覚に陥る。

 森野が告白した瞬間に、ばっさり、キッパリ瞬殺で断った信原久美子さんの里美は、一瞬、「いやいや、もうちょっとオブラートに包んで、もう少し間を置いて断ってあげても」と思うのだけれど、期待をさせて間を持たせてことやる方が実はもっと深く相手を傷つける事になるから、からりさらりと断ったのは、里美の優しさであるのかも知れないと思った。

 宮本京佳さんの菜摘は、このお店で使う野菜とその野菜を作る人たち、お店の常連さん、ここで作って出すお料理の全てを愛おしく、大切に思っているのが、その言葉ひとつ、動きひとつ、野菜や食材について語るその目の表情全てに溢れていた。
 そして、このお話の中に出て来て、頂いたお料理が、こちら。レンコンづくしのオードブル。

 レンコンとエリンギのピクルス、レンコンのキッシュ、ビーツと蓮根の和え物、蓮根のごまあえ、蒸しレンコン。

 蒸しレンコンはホクホク、シャキシャキして、何もつけないそのままでも甘みがあって美味しく、レンコンの胡麻和えは、胡麻油もほんの少し加えてあるのかな、胡麻の風味とシャキシャキ感が残る程度に火を通した蓮根の食感と蓮根の違う甘みを感じて美味しかった。

 蓮根とビーツの和え物は、ピクルス感覚でたべられるし、シャキシャキした蓮根とふわっとした卵のキッシュは、スペイン風オムレツのようで美味しく、レンコンとエリンギのピクルスは柔らかな酸味で、さっぱりと美味しく食べられます。

 演劇ごはんは、28日までやっています。南青山野菜基地は、今月いっぱいで閉店という事で、この場所で演劇ごはんが観られるのは、コ28日まで、今日を持たれた方は是非、足を運んで観られてはどうでしょう。

 文:麻美 雪

→次回は、第2話~前菜編~

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

0コメント

  • 1000 / 1000