ゲイジュツ茶飯:『バイオレットピープルの涙』

 底冷えのする金曜日の夜、仕事を終え、急いで新中野のワニズホールヘ、劇団おぼんろのさひがし ジュンペイさんプロデュース、ゲイジュツ茶飯第3回公演『バイオレットピープルの涙』を観に向かった。

 昨年の秋、この場所でゲイジュツ茶飯の立ち上げ公園を観たのを思い出す。

 ワニズホールの階段を地下へと降り、劇場へ足を踏み入れると、舞台の上には1脚の椅子と1台のテーブルがあるのみ。
 その舞台の上に描き出されたのは、6編の短編芝居。

 さひがし ジュンペイさんとわかばやし めぐみさんの『イエドロの落語』でもお馴染みの『カツ丼女』から始まり、『デリへル頼んでみました』『火の用心』第1弾公演でも上演した『東へ西へ』『月、ミチル』ラストの末原拓馬さん脚本の『カエルの置き物を食べたヘビ』の6編の短い物語が紡がれた2時間。

 役者9名で、ラストの『カエルの置き物を食べたヘビ』以外は二人芝居。
 
 今回、全ての芝居、全ての役者さんについて書くのは難しいので、特に印象に残った役者さんと好きな物語について書かせて頂きます。
 
 6編の短編の中で、一等好きだったのは『カツ丼女』と『カエルの置き物を食べたヘビ』、特に印象に残り、この役者さんの舞台を観たいと思った役者さんについて書きます。

 『カツ丼女』。初めて観たのは、さひがしさんとめぐみさんの『イエドロの落語 其の参』だった。その時も、冒頭にやっていたのがこの『カツ丼女』。

 『イエドロの落語』で上演したということでも分かる通り、創作落語の要素が濃く、台詞の掛け合いが、落語と漫才の掛け合いのような軽妙にしてもどかしく、言葉の遊びと頭の中のスクリーンに映像が頭の中を駆け巡る感じ。

 『カツ丼女』は、あなたのファンという見ず知らずの男から、毎日決まった時間に来来軒から女のもとにイベリコ豚のカツ丼が届けられるというもの。

 なんせ、会ったこともない顔も知らない男から、毎日イベリコ豚のカツ丼届けられるのだから、届けられる女は気味が悪い。気味が悪いのだけど、来来軒のイベリコ豚のカツ丼が好物の女は、今日こそは食べずに持って帰ってもらおうと思いながらも、毎回美味しいイベリコ豚のカツ丼の魅力に負けては完食してしまう。

 けれど、今日だけは食べずに返すと意気込み、届けに来た来来軒の店員(小山蓮司さん)と女(早野実紗さん)の絶妙な間合いと息の合った台詞の掛け合いと『ラ・ラ・ランド』の曲に乗せた踊りとで一脚の椅子と一台のテーブルだけの舞台の上で展開される。

 そこにはないイベリコ豚のカツ丼が、目の前にあるかのように映像として見えるのは、小山蓮司さんと早野実紗さんの表現が描き出すからだと思う。

 早野実紗さんの女は、一見ただその言葉遊びや台詞の掛け合い、間合いの妙で笑わせるように見えて、嫌だ嫌だと言いながら、自分のファンだと言い、毎日届けられるイベリコ豚のカツ丼を届けて来る男が、何処か気になり始めている微妙な女心を描き出し、小山蓮司さんの来来軒の店員は、そんな女をひとりで寂しいが故にカツ丼を贈られ困惑する女を自作自演していると思っているようにも見せて、もしかしたら、この店員がカツ丼の送り主ではと思わせたり、送り主ではないけれど、毎日カツ丼を届けるうちに、一種言い難い気持ちが芽生えているのではないかと思わせた。

 『カツ丼女』は、ある種、切ない独り身の大人の女の恋の話のようにも、切ない故にふっと笑ってしまうような恋の話のようにも感じた。

 その小山蓮司さんと早野実紗さんがガラリと違う世界を紡ぎ出したのが、『カエルの置き物を食べたヘビ』。

 空腹になると目が合った者たち(虫でも小動物でも食べてしまう)を食べる為、忌み嫌われ恐れられているヘビのアンソニーと慕っているアニキ分の命令で、アンソニーの皮で財布を作って売る為に、アンソニーを騙してカエルの置き物を飲み込ませ、アンソニーが死んだら皮を剥ごうとしている体を緑に塗って、バッタもんのバッタに化けているコオロギのペケの話。

 末原拓馬さんの脚本によるこの物語。
 切なくて、切なくて、愛しくて、気づいたら、涙が止めどなく涙が頬を滑り落ちていた。

 嫌われ者のヘビのアンソニーは、実はとても孤独。食べたくて虫や動物を食べている訳では無い。空腹を満たす為に、命を繋ぐ為に食べずにいられないために食べているだけ。
 食べてしまったあと、アンソニーはいつも傷ついている。食べてしまった自分に、食べてしまった相手を思って。だから、食べてしまった後、アンソニーは、食べてしまった彼らが自分の腹の中で消化され自分の一部になるまでの間、ずっと食べてしまった者のことを考え続け、腹の中の相手と対話をする。

 ペケは賢くはないけれど、誰より慕い、愛するアニキ分の為に、言われるままに自分の体を緑に塗って、絵の具が禿げるから、泣くことも雨に濡れることも避けて生きている。

 そのアニキの命令でアンソニーの皮を剥ぐために一計を暗示、功を奏してカエルの置き物を飲み込んだアンソニーは、動けず食べられず、弱ってゆく。

 アンソニーのもとに通ううちアンソニーとペケの間には、微かな友情のようなものが芽生え始めていたのではなかったか。

 カエルの置き物を飲み込んで食べられなくなってから、動物たちが安心して寄って来るようになり、孤独でなくなったアンソニーの表情が、どんどん幸せそうに和らいで行き、「俺が死んでも絶対に皮を剥ぐなよ。一番かっこよくて気に入っているのは尻尾の皮だ。」と言い残し、微笑みを浮かべて死んで行く早野実紗さんがどうにも切なくて涙が零れた。

 移ろってゆくアンソニーの心情を圧倒されるほどの声音や表情で描き出した早野実紗さんの最後のなんとも言えない幸せそうな表情をしてこと切れたアンソニーの顔が今も胸に残っている。

 皮を剥ぐなよというアンソニーの遺言が、一番カッコイイ尻尾の皮を持って行くがいいという事だと解った小山蓮司さんのペケは、アニキ分とは違う、親しみと友情のようなものをアンソニーに感じ始めていたが故に、アンソニーの皮を剥ぐ時、一抹の痛みがこころに走ったのではなかろうかという気持ちがひしひしと伝わって来た。

 だからこそ、家に戻った時、アニキ分が亡くなっていて、しかも大家の目の見えないモグラと組んで自分を騙し、陰で笑い者にしていたと知った時のペケの悲しみとやるせなさ、アンソニーにカエルの置き物を飲み込ませ、弱らせ、死なせて皮を剥いでしまったことへの痛みと後悔と絶望、それなのにアニキ分を憎み切ることが出来ない切なさを小山蓮司さんのペケに感じた。

 膨大な台詞の掛け合い、そこから紡ぎ出されるアンソニーとペケの物語は、やはり、切なくて、哀しくて、けれど、アンソニーの安かな臨終の表情にどこか救われ、仄かな温もりと希望の灯を見つけた愛おしいこの物語が大好きだ。

 この物語、『カエルの置き物を食べたヘビ』は、是非観て欲しい作品。
 だから、『バイオレットピープルの涙』を観て欲しい。

 私が特に好きなのはこの2作だけれど、他の短編芝居も、役者さんもとっても素敵です。

 小山蓮司さんと早野実紗さんともう一方、真坂雅さんは、『バイオレットピープルの涙』を観て、他の舞台でも観たいと思った印象に残った役者さんでした。

 真坂雅さんの出演は明日まで、『バイオレットピープルの涙』は21日まで。

 是非、観て頂きたい舞台です。

文:麻美 雪
 

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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