年の瀬、麗らかな陽射しを背中に感じつつ出掛けた、八幡山ワーサルシアター。
去年の観劇納めは、劇団おぼんろのわかばやし めぐみさんが出演されたカプセル兵団超外伝吉久直志プロデュース公演《アクティブイマジネーション朗読劇》 『日本の神の物語~古事記の世界【舞台役者編】~』(公演名もタイトルも長過ぎてブログタイトルが入り切らないので、正式な公演名とタイトルは、本文のこちらに書きました)。
今回は、いつものように、役者さん一人一人について書くのではなく、舞台全体について、感じたこと、思ったことを書いてみたいと思う。
劇場の中へと進み、席に着く。舞台には、少しずつずらして置かれた10脚の椅子のみ。
朗読劇なので、舞台装置は無く、10脚の椅子に10人の役者が静かに座って、古事記を朗読するのではなく、代わる代わる、動く。
それはもう、普通の舞台のように、否、普通の舞台以上に動く。
錚々たる役者が居並ぶ。
ホチキスの山崎雅志さん、東京ハートブレイカーズの首藤健祐さん、カプセル兵団の舞台ではお馴染みの夢麻呂さん、30‐DELUXの田中精さん、ゲキバカの中山貴裕さん、黒田勇樹さん、椿組の井上カオリさん、ガソリーナの植野祐美さん、そして、劇団おぼんろのわかばやし めぐみさん。
《アクティビティイマジネーション朗読劇》って、何だろう?
説明を読むと『誰もが知っててもよく知らない『古事記』の世界を朗読劇で表現し、よくある暗く真面目な朗読劇ではなく、「朗読」で有ることを活かし、「演劇」のライブ感を取り入れた、全く新しいアドリブができるギャグ満載の朗読劇。』の事だという。
この朗読劇は、古事記の前半を舞台役者が、後半を声優が朗読するという2つに分けて上演された。
私が観に行ったのは、古事記の前半、舞台役者編。
古事記の前半は、オオクニヌシノミコト、ニニギノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコト、スサノオ、アマテラスなどが出て来る、国を造り、天皇が出て来る寸前までの話し。
1人で何役も声音や表情、動きの全てを違え、変化を持たせ、怒涛のアドリブと笑いの渦を巻き起こしながら、きっちりと古事記を描き切る。
しかも、これが滅法面白い。
古事記というと、神様の名前が舌を噛みそうなほどややこしかったり、長かったり、その時点で、つまらないとか分からないとか言い、読む事を諦めてしまう人も多いのではないだろうか。
そんな人にこそ、この舞台はぴったり。
真面目で暗いというイメージを持たれがちな古事記を、明るくハチャメチャに、けれど、古事記本来の物語を変えることなく、次々に役者によって繰り出される何処からがアドリブで何処からが脚本なのか分からないアドリブと、ギャグで笑わせながらもきっちりと描き、伝えているので、大笑いして観終わった後にも、ちゃんと、話の内容が程よく要約された形で記憶に残っていた。
それは、それぞれの役者さんの声が良く、言葉がはっきりと聞こえて来るので、台詞がきっちりと聞き取れるからだと思う。
古事記の前半、特に、国を造る所は、キリスト教の『天地創造』と重なる。
キリスト教より、古事記の神々は、より人間的でおおらかなエロスを持っているようにも思う。
実は、古事記に出て来る神様たちは、人間臭く、その起こす事柄は、現代の日本や世界に起きている事態と何ら変わるとはなく、神様たちの実に生臭く、人間臭く、身近な存在であると知る。そうと解って観ると、古事記は決して難しくなく、身近で面白いものだと解る。
そんな古事記の魅力を、たっぷりと余す所なく見せてくれるのがこの舞台だった。
朗読劇であるのに、目の前には、天の岩戸に姿を隠したアマテラスを天の岩戸から引っ張り出すため、踊りや芸事を見せている神々や、向こう岸に渡ろうと騙したワニに皮を剥がれて泣いているウサギを助けたオオクニヌシノミコトの因幡の白兎の場面、豊かに水をたたえた田畑、悠久の古事記の世界、神々の、命の躍動が眼の前に広がり、感じた。
2時間の予定が30分伸びたのも気づかないくらい、古事記の世界にとっぷりと浸かり、笑いに笑った、年の瀬の締めに観るのに相応しい、最高に楽しい舞台だった。
文:麻美 雪
0コメント