ここからは、ポンポンと空に星を置いてゆくように、『月とカーニバルのおはなし』を観ている私の頭の中に浮かんだこと、言葉、イメージ、感じたことを書いてゆこうと思う。
好きな雰囲気のお話なのだけれど、不思議な感覚に包まれるお話しだったので、伝えるのが難しく、それ故に、取り留めのない書き方になるかも知れませんが、ご容赦下さい。
一つの役を2人或いは3人で演じるこの舞台、観に行った日や時間によって、役者さんが変わるので、同じ話でも毎回違う舞台を観ている感じになったのだろうと思う。
音楽の中川えりかさんと丘咲アンナさんだけが、全回出演する。
この日の酒番は、蓮根わたるさん。
蓮根さんの酒番は、カラネ(空音)という名。カラネ(空音)と聞いて、アカラの中川えりかさんと初めて対面し、蓮根さんが音の案内人として出演されていた2年前のアカラのコンサート『空の音触』から取ったのではと思い至り、小さな仕掛けにふふっとなる。
蓮根さんの酒番が話し始めた話は、幼馴染の生まれつき全盲の少女(伊勢夕希さん)とその少女を支える少年(斉藤太志さん)のお話し。
話は、少年と少女が生い立って行き、やがて少女が、光と景色、色彩を得る事が出来るか否かの目の手術をする前日、そして、ラストの今へと移ろってゆく時間を切り取り、繋いで描かれてゆく。
酒番カラネ(空音)が、店にやって来た少年(中川えりかさん)に幼馴染の少年と少女の話をする時、時に逡巡し、思いを馳せるような、後悔を滲ませ黙り込む。
少年(中川えりかさん)は、そんな酒番に話を促し、時に、酒番の抱えた古い傷に触れるような問いかけをしつつ、それによって、浮き彫りにされてくる酒番カラネ(空音)と幼馴染みのふたりの話が交錯し、交差し、ピタリと重なりあった時、あのラストはジグソーパズルの最後のピースが嵌って、一枚の絵が完成するように、ストンと腑に落ち、じんわりと温かな気持ちになって来る。
全盲の少女に、私は、15歳で病に散った同級生を思い出し、少女と少年の紡ぐ話に、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に感じた夜の月の光と、キンと冷えた冬の空気、静かな夜の香りと空が、頭の中に、舞台を観ている目蓋の裏に、取り留めもなく、次から次へと浮かんでいた。
連想も想像も果てしなく、取り留めもなく、とめどなく、『月とカーニバルのおはなし』を観ている私の全身に駆け巡っていた。
音の調べに揺られながら、ふわふわと色とりどりのイメージと言葉と風景、そして、私自身の思い出がシャンパンの泡のように、朝には消えてしまう星のように、浮かんでは弾け、また浮かんでいた。
音楽と言葉、音楽とお話し。
音楽と芝居の融合。
そう、融合。融け合ってひとつになって、それが、無限に広がってゆく。
冬の夜の空のように。
音楽が物語と今を繋ぐ。
音楽と物語があって初めて、成り立つ世界。
音楽と朗読が物語を繋ぐ。
全盲の少女(伊勢夕希さん)は花、幼馴染の少年(斉藤太志さん)は楽器。
斉藤太志さんの少年は、その調べで少女に光や景色や色彩を伝え、伊勢夕希さんの少女は、少年の紡ぐ言葉と調べで、光や景色、色彩を見、その身に浴びて咲き、育つ花であり、少年の心に咲く花ではなかったのか。
丘咲アンナさんとアカラの中川えりかさんの奏でる音楽と歌は、この物語に降り注ぐ、水。
えりかさんの歌は、寄り添うように、包み込むように、柔らかく空気の中に融けて、漂っていた。
丘咲アンナさんの奏でる調べは、広い草原に心地好く吹き渡る風と降り注ぐ光。
少女が初めて両親から貰い、数年後のシンタクロース祭に、一番大切な少年への初めてのプレゼントになった岩下政之さんのクマの愛らしくも温かく飄々としていること。
時に大人び、時に子供らしく、それでいて全てを解っていて、そっと見守っているような中川えりかさんの少年。
ラストの、姿は見えず声だけで、幼馴染の少女の手術の前日、ポインセチアの鉢植えを残し、少女の前から去り、その後悔を心にずっと心に抱えた嘗ての少年、蓮根わたるさんの酒番(空音)の心に抱えた後悔が溶けたのを感じ、しみじみとした温かさに胸が満たされた。
クリスマスの何処かの町の何処かのBARの片隅で、起きた小さな奇跡を見たような、ぽっと心に灯が点るような舞台だった。
文:麻美 雪
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