Ortensia:第六回公演『我が子、ハムレット2』

 2019.11.22㈮ PM15:30 東中野RAFT 

 朝から篠突く雨が降る手袋無しでは指先が凍える金曜日の昼下がり、東中野RAFT へと1年2ヶ月前に観て、続編若しくは再演を熱望し、続編が決まってから心待ちにしていたOrtensia第六回公演『我が子、ハムレット2』を観に足を運んだ。

 『我が子、ハムレット』から1年2ヶ月の時を経て、目の前に繰り広げられるのは、20年振りに正月公演で、本格的に女優に復帰する事になった嘗て伝説の女優と呼ばれた母加代子が、一人、都内の稽古場に籠り、復帰舞台『奇跡の人』の稽古をするも、20年のブランクは、加代子に『演じることの自由』を与えてはくれず、自分がどのように演じていたのか、一人稽古をすればする程、演じることの自由が遠のき、演じることがわからなくなって行く加代子の前に、父から母の稽古場所を聞き出した、今や中堅劇団の新進気鋭の若手役者となった、息子恭一郎が現れ、母の稽古を助けようとすることから始まる、笑いの中にシリアスが甘さを引き立てる塩のようにピシッと引き締まる言葉と場面を散りばめた母と息子の演劇コメディ。

 『奇跡の人』のアン・サリバンと言えば、真っ先に頭に浮かぶのは、あの女優。母加代子が、舞台の幕開きの初めの方から舞台中、何度も、大竹しのぶさんの物真似でサリバン先生の台詞を言う度に腹筋が痛くなる程笑った。

 母加代子と息子恭一郎(飯田南織さん)のやり取りは、シリアスの中に笑いが散りばめられていて、その得も言われぬ間合いに笑いつつも次第に引き込まれてゆく。

 舞台装置は、稽古場を思わせる左右に置かれた長いテーブルとその上に乗っている台本や細々したものだけ、役者は小西優司さんと飯田南織さんの二人だけ。

 『我が子、ハムレット』では、恭一郎が、ハムレットを演じることに行き詰まっているのを、マクベス夫人や『リア王』のコーデリアなど、シェイクスピアを数多く演じ、『リア王』を最後に突如引退した伝説の女優である事を恭一郎に隠していた加代子が、目の前で『ハムレット』や『ロミオとジュリエット』『リア王』等を演じて観せて、恭一郎を導くが、今回はその逆。

 20年のブランクは、加代子に舞台に立つ怖さと不安を感じさせただろうし、復帰の舞台は、あまりにも有名な『奇跡の人』であり、サリバンと言えばあの女優であり、その女優のファンであるが故に、加代子のサリバンではなく、その女優をなぞらえてしまう、それが間違いである事を頭では解っているのに、思うように、嘗てそう出来ていたように、演じることの自由がその手に、その身体に戻って来ない焦りともどかしさ、見えているのに、もう少しで手が届くのに届かない、演じること、演じる者の葛藤と孤独、恐れ、不安、それを超えた先にある刹那の甘美と歓びを小西優司さんの加代子から感じた。

 それは、役者だけに言える事ではなく、きっとどの仕事でも言えることであり、もっと言えば、『生きる』ということもまた、そうなのではないだろうか。

 飯田南織さんの息子恭一郎は、前作から役者としても、人としても、息子としても成長し、恭一郎が母を支え助ける大人になっていた。母のサリバン先生に対するヘレン・ケラーを演じた南織さんの『物には名前がある』事を知り、知性の目を開かれた瞬間の表情、憑かれたように貪欲に物の名前、自分の周りにある物の名前を教えて欲しいと求める動きと表情に引き込まれ、心が震えた。

 そして、最後まで散りばめられた笑い。前作でも登場した、月影先生の衣装を着た途端に、伝説の女優が降臨したかのように、演じることの自由が加代子に戻って来る瞬間が爽快さ、緩急、笑いの中に塩っぱさと苦さがピリッと効いた笑いとシリアスの絶妙なバランス、ラストの爽やかな温かさに、心地好い軽やかさを胸に灯しながら帰路に着いた舞台だった。

 もしも、願うるならば、『我が子、ハムレット3』を観たい。

文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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