2019.9.28 PM13:30 DDD青山クロスシアター
夏の暑さが残りつつも、風に秋の香りを感じる昼下がり、渋谷駅から長く緩い上り坂を歩きDDD青山クロスシアターに叶江 透さんの出演されているAlexandrite Stage Produce『The Great Gatsby In Tokyo』Opalチームを観に足を運んだ。
今年の3月、同じこの劇場でこの『The Great Gatsby In Tokyo~Starlight~』を観て、半年後、出演者を変えての再演。
舞台の雰囲気やあらすじ等の詳細は、以前こちらの観劇記ブログで書いたので、そちらをお読み頂ければと思います。
今回観て、改めて思ったのは、デイジー(堀 有里さん)とトム(別紙 慶一さん)・ブキャナン夫妻の生まれ落ちた時からの裕福な家庭に育ち、育ちやお金で苦労したことの無い人間の傲慢さと身勝手さと知性も教養もあるのにも関わらず生まれも育ちも貧しいと言うだけで、見下げられ、生涯で唯一心から愛したデイジーの為に、相応しい財力と身分を得る為に後暗い仕事をしながらものし上がり、デイジーとの幸せを夢見ながら結局は、裕福さを選び裕福な家庭に育ったデイジーの傲慢さに傷つけられ、拒絶されても尚、最後までデイジーを愛し、庇い続けたギャツビー(池田 竜渦爾さん)の切なさと痛みだった。
前回もそうだったが、観れば観るほどデイジーとトムのブキャナン夫妻を私は、好きになれない。
掘 有里さんのデイジーは、随分前に観たドラマ『不機嫌な果実』の主人公を思い起こさせた。林真理子の小説を石田ゆり子主演でドラマ化したそれは、夫に常に不満を持っていて、『私っていつも損していない』という女性が主人公。夫との生活が退屈で不満で、嘗ての不倫相手の上司と不倫をし、後にSNSで知り合った年下の音楽評論家と熱烈な恋愛をし、夫と別れ、その相手と結婚するもまた、不満を持つ妻と堀 有里さんの演じるデイジーが重なった。
確かに、今の地位と財力を手に入れる為にギャツビーがした事は悪い事だったかも知れないが、家柄の良い裕福な家庭に育ったデイジーとの結婚を彼女の両親に認めさせるには、地位と財力を手に入れるしかないと思ったからであり、少なくともギャツビーは、人を愛する事が出来る人間なのに対し、デイジーは、結局、家柄や財力でしか人を見られず、評価出来ない人間なのだと感じた。
だから、浮気を繰り返す夫トムに不満を抱えつつも、結局は、同じ穴の狢の地位と財力のある裕福な暮らしを続けさせてくれるトムを選び、ギャツビーを棄てた。
そして、『不機嫌な果実』の主人公がそうであるように、トムと過ごす一生は、トムの浮気に不平不満を持ち『私っていつも損していない?』と言いながら、贅沢な暮らしを捨てる事もせず一生不機嫌なまま、幸せを感じずに生きてゆくのだろう。もしかしたら、それが、ギャツビーを裏切り傷つけたデイジーに下された罰なのかも知れない。
それはまた、別紙 慶一さんのトムにも言える事で、デイジーがトムを愛していないように、トムもデイジーを愛してはいない。トムが必要なのは、美しく家柄の良い、裕福な家庭に育った妻デイジーで、そのステイタスだけで繋がっている夫婦。
愛人のマートル(立花 優美さん)が、デイジーの運転する車に轢かれて死んだのを、ギャツビーのせいにし、マートルの夫ジョージ(花渕 まさひろさん)の悲しみを煽り、ギャツビーへの復讐心を焚き付け、自分は蚊帳の外。全ては、己と妻デイジーの傲慢と身勝手が引き起こした事で、周りの人間が不幸になってゆくことに気付こうともせず、これからも、地位と財力にかまけて贅沢三昧な暮らしを続けながら、お互いを裏切り続け、いつか、娘に大きく裏切られるかも知れない。互いに愛する事を知らずに、不満を持ちながら一生心満たされる事無く生きて行く、妻デイジーと同じ罰を下されたのではないか。
池田竜渦爾さんのギャツビーは、デイジーと結婚する為に用いた手段は悪かったとは言え、ひたすらにデイジーを恋し、愛し続け、裏切られても尚、最後まで庇い続け、デイジーからの電話を待ち続け、報われることなく命尽きてゆくものの、少なくても愛を知っていたし、愛する事の出来る人間だった。
だからこそ、家柄や財力ではなく、ギャツビーという人間を好きになり、最後までギャツビーを友として変わることなく支え、寄り添ったニックに唯一心を許し、巻き込まず、心から『我が友よ』と呼び、感謝し、最後にニックの優しさに心救われたのではなかったか。
ギャツビーが一番、悲しく切なく、けれど、何より人の愛と温もりを渇望し、自らもまた、それらを、大切に想う人に全てを投げ打っても捧げようとし、そういう人を求めて生きた人ではなかったろうか。
ウチクリ内倉さんのニックは、ギャツビーの一番の理解者であり、本当の友。友だからこそ、ギャツビーの死後、誤ったウワサが流れても、デイジーを庇い続けたギャツビーがそれを否定し、真実を語る事を望まないと思い、ギャツビーが大切な友であるから、ニックは沈黙するしかなかったのだろう。ギャツビーにとって、ニックに出会い、友として得る事が出来たことが唯一の幸せだったのではないか。そんな事を感じさせるニックだった。
叶江 透さんのマートルの妹、キャサリンは、無邪気に姉を愛し大切に思い、地位や財力の有無は関係なく、恋人が欲しい、結婚したいと素直に口にし、振る舞える素直で人間らしい人間らしいで、このギャツビーの世界の中で、出て来るとほっとする存在で、人を財力や地位で見ずに、さっぱりとした気性で格好良い、杏 さゆりさんのジョーダンと並んで好きな役。
華やかなギャツビー邸で繰り広げられたパーティーは、儚い一瞬の夏。ギャツビーは、ずっと人生の夏の中にいたのではないだろうか。
5年前、デイジーと恋をしていたあの時から、ギャツビーの時は止まり、デイジーの時は動き続け、やがて、二人の間に飛び越えることの出来ない溝を生み、それを見ようとしなかったギャツビーの心の中に巣食う孤独と切なさは、ギャツビーの人生の夏の終わりと共にパーティーが終焉を迎え、ギャツビーの人生もまた終幕となる。
ギャツビーのパーティーと共に、夏が終わり、秋が来る。切なく胸が軋む、美しく履かない夏の終わりに相応しい素晴らしい舞台だった。
文:麻美 雪
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