あやめ十八番:第10回公演『ゲイシャパラソル~紅・墨~』

 2018.6.16㈯ 座・高円寺1。

 今にも泣き出しそうな空模様の土曜日の昼下がり、高円寺にある座・高円寺1にあやめ十八番第10回公演『ゲイシャパラソル』を観る為に、この日の午後いっぱい私は此処に居た。

 一部出演者を除き、昼の回の『ゲイシャパラソル~紅~』夜の回『ゲイシャパラソル~墨~』では、出演者が違う。その両方を観る為に、午後いっぱいを座・高円寺1で過ごした。

 昼の“紅”では、舞台右手の前から2列目、よるの“墨”では、舞台正面、前から5列目の席に座り、この舞台を観た。観る場所、角度が違うと目線が変わる。

 目線が変わると、観る視点が変り、それはまた舞台を観る視点が変化し、感じるもの、受け取る感情、思いが変わって来ることを意味しているのかも知れない。

 劇場に足を踏み入れると、真ん中に四角く刳り抜かれた舞台があり、その上に中華料料理屋の回るテーブルのような2周りほど小さく四角い舞台がある。

 ジョルジュ・ドンの『ボレロ』の舞台装置のような、黒く塗られた四角い舞台。小さな四角いを、取り巻く大きな四角は、のりしろか城を囲む堀のようである。

 その舞台の頭上に、青、紅、碧、黄色、紅に金色の透かし模様が描かれていたり、白に紅色に彩色された梅の花が描かれた、丸いのや気球のような形の提灯、小さい丸い提灯を4つ串刺しにしたような提灯が天井から吊り下げられている。

 舞台を囲むように配置された客席。

 天井の真ん中にからさがるミラーボールを、四角く囲む色とりどりの提灯。

 あやめ十八番『ゲイシャパラソル』の幕が開く。

 時は、平成60年、SNSも携帯もまだ普及しておらず、スマートフォンなど影も形もなかった頃。今でこそ、芸者や花魁ショーが外国人観光客に喜ばれ、復活し、活気を取り戻しつつあるが、辰巳芸者で鳴らした深川も芸者も昔の話になりつつあったが、それでもまだ、仄かに遊郭や花街の色が残ってもいた過去と現代が混じり合っていた深川を舞台に繰り広げられる、一人の深川芸者と一人の名も無い男の物語。

 深川芸者、柳屋の仇吉は、その美貌や芸ではなく、本名を売らなかったことその一点ゆえに、“花柳界の宝”と呼ばれていた。

 だが、それだけではなく、仇吉に男たちが惹かれたのは、金にも権力にも男にさえ媚びない強さにもあったのではないだろうか。

 深川芸者の仇吉。何か他の芝居にも出て来そうだと調べてみたところ、歌舞伎の『梅ごよみ』というのに、深川芸者仇吉が出て来る。『梅ごよみ』は、深川芸者の仇吉と米吉、お蝶が鯔背な男丹次郎を巡って恋の火花をちらす話である。

 深川芸者は、辰巳芸者とも呼ばれ、男のような名前を付け、男装を真似て宴席で黒羽織を着ていたので羽織芸者とも言い、気風がよくて情に厚く、芸を売っても色は売らない心意気を持った芸者。

 『ゲイシャパラソル』の仇吉も正にこの深川芸者を地で行った芸者。

 “紅”と“墨”では、微妙に、それぞれの登場人物の佇まいや描かれ方、それぞれの人間から受ける印象や感情、感じ方が異なる。ひとつひとつ取り上げて詳細に書くと、書き切れず、いつ終わるとも知れないので、ざっくり、強く感じた事だけ書く。

 紅”の仇吉(大森茉莉子さん)は、たった一人愛した男への想いだけを胸の内に紅く滾らせ、それ以外の全てに対して心凍らせ頑なに、なびきも揺れもせず拒む仇吉に対し、“墨”の仇吉(金子侑加さん)は、静かにに深い想いを蒼く燃やしている感じがした。

 柳屋の女将菊弥、“紅”の堀越涼さんの菊弥は、凛として酸いも甘いも噛み分けた、艶やかでそこはかとない色気が所作の端々に感じさせる老長けた粋で気風の良い菊弥に対し、“墨”の秋葉陽司さんの菊弥は、肝っ玉母さんのような、ドンと腹の据わっでキッパリした菊弥。

 と言うように、“紅”と“墨”は、微妙に受けとる感じが違う。

 “紅”と“墨”、両方観て感じたのは、人の醜さ、人の美しさ、人間の強さと弱さ、脆さと危うさ、政治や金の為、中国人に自分の名前を売り、中国人の名前になること、名前を売るそれは即ち、国籍を売ることであり、日本人の名前と共に国籍、アイデンティティを捨てた事による後悔と、アイデンティティの置き所などいろんな問題が含まれていること。

 貧しさゆえに身を売り、名前(国籍)を売る、物理的、琴線的貧しさと人の心や愛、地位や名誉を買おうとする精神的、人間的な心の貧しさの対比。

 どちらも良いとは思えないが、金銭的貧しさの方がまだしもマシなような気がしてしまう。

 過去と現在を行き来しているような不思議。正和60年と平成の今との行き来のはずが、どこかもっと前の昭和初期か吉原の遊郭が隆盛を極めた最後の頃の(『吉原炎上』残ろ)の日本が乏しかった時代と現代を行き来しているような、なんとも言えない不思議な時間を往来しているような感覚に陥った。

 最後の大吾と仇吉の上に咲く、紅い蛇の目傘の花が、胸に染み入るように美しかった。


文:麻美 雪

麻美 雪♥言ノ葉の庭

昼は派遣社員として仕事をしながら、麻美 雪としてフリーのライター、作家をしています。麻美 雪の詩、photo short story、本や音楽、舞台など好きなものについて、言葉や作品を綴っております。

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