2019.9.7㈯ PM15:00 東京芸術劇場プレイハウス
夏の暑さがぶり返した土曜日の昼下がり、東京芸術劇場プレイハウスに『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと~』を聴きに行って参りました。
美輪明宏さんのファンだった母の影響で、幼い頃から美輪明宏さんがテレビに出演されると一緒に見ていて、その知性と教養溢れる美しさに子供心に憧れ、いつかこの方の舞台を観てコンサートに行きたいと思って育った。
その夢のひとつ、美輪明宏さんの舞台『毛皮のマリー』を今年の4月に観る事が叶い、その時に今回のコンサートフライヤーが入っていて、ダメで元々と予約をしたら1階席の前から3列目という良い席のチケットが取れ、美輪明宏さんのコンサートに聴きに行くという夢がまたひとつ叶った。
この日は、12曲のシャンソンの中から、その日の気分やお客さんの雰囲気で選んだアンコールを含め10曲を、途中20分の休憩を挟み、2時間半、歌うシャンソンの説明を交えながら美輪明宏さんが愛についての話を語り、歌うコンサート。
小学生の頃から、憧れて、焦がれて、この方の歌うシャンソンとその知性と教養と想像を絶する人生を経て培い、たどり着き、磨かれた哲学から美輪明宏さんの口からこぼれ落ちる言の葉を間近で聴きたいと思っていたコンサートに遂に来た事の感動に、1曲目のジャック・プレベールの手になるシャンソンの名曲『枯葉』を聴いた瞬間から涙が滲んだ。
フランス語と英語で歌われた『枯葉』、こちらも大好きで、私のブログのタイトルにもなっていて、絶対に聴きたいと思っていたうちの1曲、エディット・ピアフの『バラ色の人生(La V ien Rose)』では胸が震え、『ラストダンスは私と』『水に流して』『愛する権利』…次々と聴きたかった曲が歌われるのを聴き、感動と歓びに胸が高鳴りっぱなしだった。
特に胸を締め付けられたのは、中学生の頃にテレビで歌うのを聴いた『人生は過ぎ行く』。
年下の恋人が、時が過ぎ、歳を重ね美しい容貌に翳りが見え始めた年上の女への恋心が冷め、若く美しい娘と恋に落ち、女を捨てその娘の所に行こうとするのを、年上の女の最後のプライドを保とうと、その娘の所へ行けと言い放つも、男にとってはこれからもある恋に比して、自分にとっては最後の恋である男を、「行かないで」となりふり構わず引き止め、それでも新しい恋人の所へ行こうとする男に、「窓から飛び降りるわ」と叫ぶ所で終わるこの歌の女の胸を引き絞り、キリキリと穴を穿たれるような年上の女の悲しみを、初めてテレビで聞いた中学生の頃に感じ戸惑いながらもずっと耳を離れず、好きだったこの歌の、年上の女の痛ましい悲しみと切なさが、歳を重ね、いくつかの恋を経た今聴くと、それは、更に生々しく、この身を引っ掻き血を滴らせるような、より皮膚感覚で感じられた。
そして、何と言っても一番聴きたかったのは、アンコールで歌われた『愛の讃歌』。エディット・ピアフが、人生で恐らく最も愛した、飛行機事故で亡くなった恋人、マルセル・セルダンを思って書いた曲。
初めて聴いたのは中学生になったばかりの頃、テレビで越路吹雪さんが歌う、岩谷時子さん訳詞の『愛の讃歌』だったが、その時目に涙いっぱい溜めて歌う越路吹雪さんを見て、この訳詞とは違うもっと、胸引き裂かれるような悲しみを秘めた歌なのではないかと感じたのだが、大人になり、美輪明宏さんが原詩に忠実に訳した『愛の讃歌』を聴いた時、私が中学生の頃に感じたそのままの歌詞に、原詩の意味を越路吹雪さんは知っていて、岩谷時子の甘い愛の喜びに満ちた訳詞の『愛の讃歌』を歌いながら、目に泪を溜めてうたったいたのだろうと腑に落ちた。
恋と愛は違う。恋は自分本位、愛は相手本位。ピアフが作り歌い、美輪明宏さんがそのピアフの原詩に忠実に訳詞歌う『愛の讃歌』は、まさに相手本位の愛の歌。
愛する人が言うのなら、国も友も捨てるし、黒髪をなに色にだって染めるし、高く碧い空が落ちて来ても、いつか人生があなたを奪っても、あなたとのこの愛があれば私は幸せ、永遠に愛を讃える歌おうという、自分のことより相手の事、相手に愛の見返りを求めるのではなく、ただ、目の前の愛おしい人を愛する、相手が幸せならばそれで良い、相手の幸せだけを思うピアフのセルダンへの愛を高らかに謳いあげた歌を聴きながら涙が溢れて止まらなかった。
アンコールで、84歳の美輪明宏さんは、体力次第だけれど、もしかしたら舞台もコンサートも、今年で最後かも知れないし、来年は出来ないかも知れない、まぁ、体力次第ですけれどと言っていた。
長崎の原爆がの爆心地から離れていたため、直接の熱線は届かなかったとはいえ、原爆の後遺症で悪性貧血であるという美輪さんは、歌っている時は、マイクを口からかなり離して歌っても、朗々と響く歌声だが、話すときに時折少し苦しそうにされていたので、それを加味しての言葉だったのかも知れないが、やはり、今、観て、聴いて良かったと思った。
美輪明宏さんの歌と愛についての話が素晴らしく、心に響くコンサートだっただけに、1つだけとても残念だったのは、座った席の両隣と後ろの席の、年配の方たちのマナーの酷かったこと。
開演前も休憩中のアナウンスでも、劇場内での飲食、私語は慎むようにと言っていたのに、歌われている最中に、ペットボトルの水を飲んだり、バッグをガサガサ音を立てて飴を取り出して舐めていたり、私語をされていたり、カッサプレートで、コンサートの空いた中、服の上からカサカサ音を立てて隣デマッサージしていたり、帽子を被ったまま席に着き、劇場のスタッフの方に脱ぐように注意されていたり、前に座っていた若いお嬢さんは、とても静かにマナー良くコンサートを楽しんでらしたのに、年配の方のあまりのマナーの悪さに呆れた。
決して安くはないチケット代を払い、時間をやりくりし、心待ちにしていたコンサートの美しい時間をゆっくり楽しもうとしている周りのお客様にも迷惑になるマナーの悪さに、いつからこんなになってしまったのかと愕然とした。
4月の『毛皮のマリー』の時は、流石、美輪明宏さんのファンの方は、マナーが良いと感服したのに、この日はとても残念で悲しくなりました。
観劇のマナーは、舞台に立つ方たちへの礼儀でもあるけれど、楽しみに観に来ている他のお客様に対する礼儀でもあるのです。
しかし、美輪明宏さんの歌は、そんなマナーの悪い一部の観客へのモヤモヤとした気持ちを一掃するほど美しく、素晴らしかった。
もしもまた、来年も観られ、聴けるのならばきっと来たいと思った。
文:麻美 雪
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