2年前の6月5日、吉祥寺シアターで劇団おぼんろの12回本公演の舞台「ゴベリンドン」を観た。
実は、この舞台、ブロ友さんや交流のある役者さんの舞台を観に行く度に貰うチラシの中に入っていて一目観た時に、「リンゼイ・ケンプの「真夏の世の夢」みたい、きっと好きな世界の舞台だな。観たい。」とずっと気になっていた舞台だった。
観に行って、良かった❗観なかったら、きっと一生後悔したと思う、今まで観た日本人の舞台では観たことなかった本当に素敵で不思議で素晴らしい舞台。
海外の舞台の日本公演だと、バレエのリンゼイ・ケンプ・カンパニーの「真夏の世の夢」だけが、おぼんろの「ゴベリンドン」と同じ馨りを持っていて、リンゼイ・ケンプやピーター・グリーナウェイの映画祭「プロスペローの本」が好きな人は、きっと好きになる世界だと思った。
もちろん、私も、すっかりファンになり、惹き込まれた。
出演する役者5人全てが舞台の物語の語り部となり、物語の中で息づく住人でもある。
物語りは、末原拓馬さんの声に導かれ、真っ暗な劇場で、目を閉じ、イメージするところから始まる。
目を閉じ、声に導かれるまま、私の中に広がったのは、 真っ暗な森の中、 小さく開けた森の真ん中に佇み、 足の裏に感じる湿った天鵞絨のようなひんやりとした苔の感触と匂い、ふと天を仰げばぽっかりと丸く開けた 木々の枝の間から蒼白いプラチナ色の満月から真っ直ぐに射し込むきらきらとした月光の粒を全身に浴び、目を転じると銀色の上に水彩絵の具のような透明な紅、黄緑、仄かな紫がたらし込みのように滲み拡がり、重なった葉を繁らせた木々が揺れ、夜露に濡れた草いきれの匂い、甘く馨る花、微かに動くと、足の裏に感じる、長く確かに根を張るごつごつとした感触、美しく儚い微かな哀しみを孕んだような森の景色。
泣きたいぐらいの美しさに、顔を巡らせ気づく、幸せな森の奥に妖しく残酷で邪悪で、絶望的に悲しい危なく不思議な入り口が微かにぽっかりと口を開けているのを。
目を開けた瞬間、その森の中に私は迷い込んでいた。
そこで語られ、紡がれて行く物語りは、家族を通して突きつけられる「愛」「生」「死」「悲しみ」「弱さ」「絶望」「純粋」「幸福」言葉を連ね、書き連ねてもなお、何かがうねり、言い足りなく、何かを言い過ぎてしまうような、言葉に尽くしがたい自分の中に蒔かれ、育ち、蔓延る、泣き出したいほどの何か。
愚かでサディスティックな王の一言で、護るべき、大切な娘の為に死ねないと作ったこの世に唯一の美しく切ない銃。その為に娘が命を落とし、絶望と悲しみが化身となって、沼に住む「ゴベリンドン」が生まれ、そのゴベリンドンの存在によって、愛する母の命を救い、弟TAKUMAを護ろうと過ちを犯した兄TOSHIMORI が長い年月の果てに引き起こしてしまった、美しくも痛ましく切ない 悲劇、「ゴベリンドン」。
高橋倫平さんのゴベリンドンは、世界が本当に幸福であったなら、その姿を見ることはない存在として描かれ、愛する娘を護る為に誤ちを犯し、護ろうとした娘を亡くし、苦しみに悶え、慟哭し、のたうち回り、苦しみに苛まれてもまだ許されない絶望と悲しみのゴベリンドンとして其処に居て、痛ましさに胸が軋むように掻き毟られた。
さひがしジュンペイさんのサビーは、忌み嫌われ、誰ひとり受け入れ、気にかけて呉れる人が居なかったが為に歪み、恨み、妬み、憎む。忌み嫌われるのは、己にもその一端の責任、己の業、そうであったなら、この世を憎むことも無かったのではないのかと感じさせるザビーとして、其処に存在し、人は誰しもザビーの種を持っている事を突きつけ、考えさせる。
わかばやしめぐみさんのMEGUMIは、TAKUMAとTOSHIMORIの母の死の真実を知っていながら、二人のための幸福を思い、何のための平和かを知っているが故に、真実に口を閉ざしていた為にTOSHIMORIを図らずもゴベリンドンと同じ過ちを犯させてしまったことを知った時の悲痛な嘆きは胸を打つ。清んだ偽善としての存在。それは、誰しもが犯し得る過ちでもある。
藤井としもりさんのTOSHIMORIは、病気の母の命を救う為に、これから生まれるTAKUMAの17歳以降の命と引きかえに母を助けて欲しいとゴベリンドンに頼みはしたものの母は亡くなり、愛する弟TAKUMAを護る為に、サビーの歪んだ憎しみに操られ自らもまた、愛と言う過ちに、許されることのない永遠の絶望と孤独と異形の沼に堕ちて行く、その姿に胸を引き裂かれそうになる。
末原拓馬さんのTAKUMAは、純粋無垢な幼さを持つ、温かな光のようなとして目の前に佇んでいた。計算も駆け引きもない、生まれたばかりの赤ん坊そのままの、幼いまでの純粋さは、どんな異形、邪悪なものさえTAKUMAを悲しみや憎しみで犯すことは出来ない。美しい魂そのものようなTAKUMAに救われた思いがした。
観ている間ずっと、森の馨りを、月の光を、闇の暗さを、痛みと無垢を、風の音を感じ、五感の全てが刺激され、蠢き、体と頭の中を感情と感覚と思考がうねり、動き、突き抜け、駆け巡り、何かが弾けて、一粒の何かの金色の種が残ったような泣きたくなるほど、美しくて儚くて、妖しく残酷で純粋で不思議な、 随所に笑いも散りばめられた素晴らしい舞台。
おぼんろの描き出す世界は、私の好きな世界で、すっかり魅せられた。
この日、この夜、 この舞台の空間に身を置けたことは何て、幸せなのだろうと思った。
この日、この作品を観てから、私は劇団おぼんろにに魅せられ、一等好きな劇団になり、今もその思いは覚めるどころか増々、募るばかりである。
この舞台をきっかけに、諸事情が重なり初めて観に行けなかった先日の『キャガプシー』を除いて、この2年間、毎回欠かさず劇団おぼんろの本公演は観に行っている。
美しく、切なく、悲しく、けれど最後には必ず胸の奥にぽっちりと暖かな火が灯る物語を紡ぐ、愛してやまない劇団おぼんろ。
この日、観なければ、出逢わなければ、こんなに美しい物語を知らずにしまうところだった。
2年経った今でも、ひとつひとつの場面を鮮やかに思い起こし、涙が込み上げてくる。
日が経つにつれ、鮮やかに色彩を増す、記憶と心に残る、大好きな舞台である。
文:麻美 雪
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